2013年9月4日水曜日

昨日と同じように生きるのは難しい

お店用に引いている固定電話は、東日本大震災で結局4〜5日はダウンしたauひかり電話を見事にバックアップしてくれた。
だから、しきりにNTTの代理店が電話してきて、ひかり電話への切り替えを薦めてもすべてお断りして、頑なに固定電話を維持している。

ところが、最近この固定電話に、新しいプランを作って安くしたのでそちらのプランに切り替えて欲しいという営業電話が頻繁にかかってくるようになった。
「同じNTTのプランですからいいですよね、安くなるんだし」と言うのだがちっとも良くない。


ガス料金だって、水道料金だって、電気代だって、値上げをする時は報道で知らされるだけで勝手に値上げして請求してくるのに、電話とかインターネットに限っては値下げをする時に、わざわざ電話をしてきて何らかの契約が必要だっていうのが、そもそもキモチワルイ。
そう思いませんか。

だから僕はそういう話に耳を傾けない。
プランを切り替えたことで生じた誰かの契約金は、商品のイノベーションの結果ではない。
無から金を生み出した「無理」は、必ず廻り回って、僕ら自身に返ってくる。
アベノミクスが生み出した円安と株高が、僕らの生活を支える必需品たちの悉くの値上げに姿を変えて返って来たように。


我々は昨日と同じように生きるのが難しい生き物だ。
いつも何らかの変化を求めている。
良くなっていない、のは悪くなっているのと同じなのだ。
そのようにして積もり積もった「無理」は、定期的に我々の社会を戦争や大不況などといった思いもかけない大きな怪物に姿を変えて襲い、いくつかの文明をまるごと葬ってきた。

僕はそのような企みに加担したくない。
無理筋を通して、自分以外の何かになりたくはない。
なるべく昨日と同じ明日が来るように、ありったけの情熱で「自分自身」であり続けたい。
だから、少しでも昨日より美味しい珈琲ができるよう精進をするのだし、その精進なくしては昨日来てくださったお客様も今日来ていただけるとは限らないのだ。

昨日と同じように生きるのは難しいが、そのための努力は、すべてが自分に向いているぶん「嘘」の入り込む余地がないところがとてもいいと思う。

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