2013年11月28日木曜日

路地裏のカフェから、電話で営業してくる皆さんへ

今どき固定電話なんかが鳴るとろくなことがない。
だいたい用件は、何かを買って欲しいか、お金を借りて欲しいか、あなたのお葬式のために互助会に入っておきませんか、という案内のどれかだ。
昨日の電話もそのひとつ、のはずだった。

電話は、「ヒートポンプ」を導入しませんか、という営業。
空気中の熱を取り込んで暖房費を安く上げるというアレだ。

我が家は、ガス暖房に自家発電機を組み込んだシステムで、他のエコ機器を組み合わせにくい構造になっているため話を聞いてもしかたがない。
お断りの言葉を考えていると、電話の向こうの女性が、
「奥様でいらっしゃいますか?」と。

おいおい、と思い「女性の声に聞こえますか?」と問い返すと、
「あら、あんまり優しそうな声だったので・・ごめんなさい」と。

こんな一言で印象が逆転してしまうのだから、人間というのは単純で、そして複雑だ。
丁寧に、我が家の暖房システムについて説明すると、ああ、では私共ではお役に立てないようです。お時間取らせて申し訳ありませんでした、とお互い気持よく電話を切った。

営業を断ると、いつもちょっと気持ちが高ぶってしまうものだが、その日はなんとも安らかな気分だった。
きっといつも善意で仕事に向き合っている人なんだと思う。
ぜひ見習いたいものだと思った。


そして、今日も固定電話は鳴る。
残念ながら奇跡は二度続かない。そういうものだ。

電話は、本当に毎度お馴染みのNTT東日本の代理店のひとつだった。
いったい幾つあるんだろう。
そして何度お断りすればいいのだろう。

回線を切り替えるとインターネットの使用料が安くなるという、いつものお話。
その話自体には特に異議はない。
しかし話が進んでいくにつれ、徐々に違和感が大きくなるのが常だ。

だいたい、電気だってガスだって、理由を知らせては来るけれど何の手続きもせずに勝手に値上げをするじゃないか。
どうして安くする時にだけ丁寧に電話をかけてきて手続きを要求するんだ?
それこそ勝手に安くして欲しい。

それに「お客様はNTTの回線をお使いですか?」という最初の質問がまずもってヘンだ。
電話をしてきているのはNTTの代理店のはずだ。
この家がどこの回線を使っているのか知らないのは何故なのだ。
少なくともNTTのユーザならそれはわかっているのではないのか。
電話の向こうで、アルバイト情報誌で集められた人たちが、どこかから入手したリストに片っ端からマニュアルを片手に電話をしている様子が目に浮かぶ。

で、僕は以前まったく同じような電話をKDDIの代理店から受け、そんなに安くなるならと切り替えて、けっこうな違約金をNTTさんから請求された経験があるのだ。
賢明なる諸兄は、二年に一度違約金が発生しない月があることをご存知だろうが、その月に営業してくる業者はいない。
世の中にうまい話などない。
これが僕の得た教訓だ。


そして、回線を切り替えても受けられるサービスはまったく変わらない。
ここが根本的にオカシイ。
同じサービスだから、安くしなくちゃならない。
そうしないと同業者から仕事を奪えない。
そのためなら何でもしてコストを抑えなくちゃならない。
何を偽装してでもだ。
それ以上のクリエイティビティは要求されない。
それではそこで働く人のやりがいはどこに見出だせばいいのだろうか。


同じサービスを提供する人が二人いれば、安い方から買う。
この当然な選択が、現代社会に巣食う様々な病理の根底にある。

そのような世界では、どちらから買うか、という選択権を行使することで、束の間消費者は王になる。
だからいつも情報を収集して、新しいお店を探している。
顧客とサービス提供者の間のリレーション・シップは発生せず、サービスの質は向上しにくくなる。
誰だって初対面の人に本音は言いにくいものだ。
だから時に、せっかくお金を使ってあげたのに王の気分を味あわせてもらえなかった時、インターネットに書き込むことで小さな報復をしたりする。

僕はこのようなゲームに加わりたくない。
いつものお客様を笑顔でお迎えして、丁寧に珈琲を淹れるこの店の日々が好きだ。
ちょっといつものより苦いんじゃないの、と言われて自分の焙煎技術の未熟さを恥ずかしく思う瞬間が無かったら成長できないと思うし、だから苦言を呈してくれるお客様には本当に感謝している。
新しいお客様が、ケーキを戴いたら美味しかったので来てみました、とおっしゃってくださる瞬間が最高に嬉しい。
そういう「縁」の中で生きていきたい。
そのためにこそ、僕たちはこのような路地裏に店を構えて、雑誌の取材もネット記事の掲載も頑なにお断りしながら日々珈琲を焼き、ケーキを作っているのである。

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