2016年3月19日土曜日

ミルをFUJIローヤルのみるっこDXに変更しました

先日、開店以来使ってきたカリタのコーヒーミル「ナイスカットミル」が壊れた。
モーターが焼き付いたようだ。

まる9年も毎日、この店で提供するほぼすべてのコーヒーを挽いてきたのだ。
お疲れ様でした。

しかし間の悪いことに、ナイスカットミルは廃番になることが発表されたばかりで、市場は在庫薄。
また、次期商品を開発中とのことで、そちらを待ちたい気もする。
先日発表されたばかりのナイスカットミルNEXT-Gもめっちゃ気になる。

ナイスカットミル NEXT G グリーン
カリタ
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とりあえず、10年前にKONO式珈琲塾を卒業した記念に買った、KONO特別仕様の富士珈機製「みるっこDXーR220」を使うことにした。


KONOのコーポレートカラー(というより社長の趣味)のイエローボディに、横っ腹にはKONOのロゴが入っている。






河野社長がカスタマイズした特性の臼刃がついているのがウリだったが、今は標準で選べるようになったようだ。
おまけに、堀口珈琲工房や、日本カフェブームの立役者、鎌倉の「ヴィヴモン・ディモンシュ」が、同じオフホワイトの特注カラーなんかを出していて(現在は品切れ中みたい)、なんかそっちの方がカッコいいじゃないか。



ま、でもやっぱこのエンジのがスタンダードでいいみたい。




強力で、回転の安定したモーターが入っていて挽き目が揃う優秀機なのだが、ひとつ大きな欠点がある。それがこの粉受け。


樹脂製で、盛大に静電気を発生する。

容器内に粉がびっしり貼り付いて落ちてこない。
これでは、客数をこなすことができない。

このミルは業務用を視野に入れてはいるが、もともと一杯分ずつ挽くことを想定していないのである。
それはこのカタログ写真を見ればわかる。

買ってきた豆を一度に全部挽いてしまうように、蓋ごと取れる容量の大きな粉受けと、大量の豆を素早く挽ける高速で強力なモーターを備えているのである。
しかし、現代のコーヒー店でこのような挽き方は考えられない。
一回分ずつ挽くために、このようなステンレス製のカップを使っている人が多いと思う。




これは、DULTONという会社のステンレス製マグカップで、KONO式珈琲塾を卒業した後にお世話になった堀口珈琲工房の教室で使っているのを見かけて買った。
開店した2007年当時、多くの喫茶店でこれを使っているのを見かけた。
カリタのナイスカットミルに高さがぴったりなのだ。
あまりにみんな使っているからだろう、ナイスカットミルのシルバー版が出た時には同様のステンレスカップに仕様変更された。

ところが、みるっこDXにはちょっと高さが足りない。
しかも超強力なモーターの風圧で粉が飛んでしまう。

粉を受けるときは、このようにカップを持ち上げて迎えにいかなくてはならない。
で、やっぱり強力なモーターの恩恵と引き換えに、静電気はやはり発生してステンレスでも粉はくっつきます。

淹れる時は、カップをよく叩いて、振って、粉をふるい落としてからフィルターに移しましょう。

2016年3月17日木曜日

コーヒー豆ってひとり分何グラムですか、の誤解。

コーヒー豆を買いに来たお客様の質問で、意外と多いのは
「ひとり分って何グラムですか」
というものだ。

この質問の答えはシンプルで、
「それは器具によって違います」
というものだが、これでお客様の知りたいことにすべて答えたことにはならない。

この質問には、一般の人がコーヒーの抽出に対して知らずに抱えている誤解をいくつも内包していて、 その意味では、コーヒーの抽出の根幹に関わる重要な質問であるともいえる。

まず、前提として
「ではひとり分って何ccのことですか」
という質問を返さなくてはならない。
すると、それは使うカップによって違うでしょう?と思われるかもしれない。
まずここに誤解の第一歩がある。

器具の説明書で言うひとり分は「120cc」のことである。
説明書にそれは明示されていないが、どのメーカーのコーヒーサーバーも杯数のメモリは120ccをベースにしている。
しかし今どきそんな少量でコーヒーを飲む人は滅多にいないだろう。
だからもし、ひとり分は何グラムですよと答えたとすると、 かなりの方が、120cc分の粉で、200ccから220ccくらいのコーヒーを淹れてしまうことになるだろう。
一度ぜひ自分が普段何ccのカップでコーヒーを飲んでいるのかを調べてみるといいと思う。

さらに、豆売り店でレギュラーコーヒーを買う人の多くがペーパードリップを使っていると思うが、一般的なメリタ・カリタ・KONO・ハリオでは、「ひとり分」のコーヒーを淹れることが出来ない、という事実がある。
ひとり分、という言葉が生み出す誤解がここにもある。

ドリップ式は透過法に分類される抽出法だが、これは「重力」の作用で生じる、お湯が下に向かっていく力を利用して、コーヒー豆の中に焼成された可溶成分をこそげ落として抽出する方法なのである。
したがって、重要なのは湯が通り落ちていく「道の長さ」である。
当然それはフィルタの中に入れた粉の「容積」に比例する。
それがひとり分ではどうにも充分にならないのである。
だから、ペーパードリップを使う際には、必ず「ふたり分から」で淹れて欲しい。
これも器具の説明書に書かれていないポイントである。

また、道の長さは容積に比例する、とは言ったが、舟型のメリタ・カリタと円すいのKONO・ハリオではその比例の具合が違う。
また、メリタは最下部に「溜まり」があり、浸漬法の要素を残している。
そのような事情で、メリタは「ひとり分」8gで、カリタは10g、KONO・ハリオは12gと必要量が異なっているのだ。
くれぐれも器具についてきたスクープ(計量スプーンのこと)を使って欲しい所以である。


ただしドリップの場合は、経験上、量が少ない場合には物足りないコーヒーが出来るが、量が多い分には不都合がないようだ。
あんまり粉が多くなれば器具からあふれてしまいいい抽出が出来ないだろうから、加減は必要だが「少し多めに」粉を使うというのは有効なコツだと思う。

反面、浸漬法はこのコツを適用できない。
浸漬法とは、フレンチプレスとサイフォンのことで、トルココーヒーもこれにあたるが、家でトルココーヒーを淹れる人はいないだろう。


これらの器具では正確に分量を守る必要がある。
時間的にも4分ほど漬け込んでおくフレンチプレスや、短時間だが百度の湯で粉を煮立てるサイフォンでは、粉の分量が味に影響しやすいのである。

2016年3月10日木曜日

コーヒーの作法

1962年11月から1963年5月まで、読売新聞に連載された「可否道(かひどう)」という小説がある。後に「コーヒーと恋愛」と改題されたこの小説には、茶道に倣い「コーヒー道」を確立しようと目論むオジサンが出てくる。

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コーヒーの歴史は思うほどには長くないが、それでも世界各国でいろいろな作法を生み出してきた。

例えばコーヒーを来客にお出しする時、取っ手はどちらに向けているだろうか。

会社で接客を学んだ人は、取っ手をお客様から見て左側に向けるように教わったはずだ。
しかしこれは普通に考えれば合理的とはいえない。
何故わざわざ右が利き手人が多いのに、逆側の左に置いて、カップを廻させるのか。

それはコーヒーに砂糖やミルクを入れなくても、スプーンでかき混ぜて温度を下げる、という作法が存在していたからなのである。
音を立てて飲まない、ということが何より大事だったのだ。
まず、右手でスプーンを持ち、左手で取っ手を支えてコーヒーをかき混ぜる。そして、カップを廻して飲む、という手順である。

古く、カップに取っ手がついていなかった時代がある。
そんな時代でもコーヒーや紅茶の温度を下げるというのは作法上の大きなテーマだったようで、 深めの別皿に飲み物を移して飲んでいたそうだ。
それが現在でもコーヒーカップに付いている受け皿(ソーサー)である。


この絵のように、コーヒーや紅茶を飲んでいたんだそうだ。

現代、温度を下げるためにコーヒーをかき混ぜる人はいないだろう。
ましてや、受け皿に飲み物をあけて飲む人がいたら奇異の目で見られるに違いない。
しかし取っ手は利き腕の反対側に置かれ、ソーサーも無くならない。
作法とはそういうものなのだろう。

2016年3月9日水曜日

コーヒーハウスの受難

現在のカフェ文化の大元にあるのは、カフェという言葉がフランス語であることからわかるように、フランスの文化人のたまり場としての「カフェ」であった。

しかし、もし17世紀の英国に「コーヒーハウス」が生まれていなければ、コーヒーを飲ませる場所が街なかの社交場として機能することはなかったかもしれない。
それまで欧州における街の社交場の主役はなんといってもパブやビアホールといったアルコールを提供する場で、人々は昼間っから酔っ払って居酒屋政談などに花を咲かせていたのである。

コーヒー文化はイスラム文化圏からもたらされた。
コーヒーハウスもトルコからの輸入である。
そのせいばかりとは言えないだろうが、近世(early modern period)においては、キリスト教圏よりもイスラム教圏のほうが洗練度の高い文化的生活を送っていたと、島田裕巳氏の「教養としての宗教事件史」にも書かれていた。

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酔を伴わない社交場を得たことで、欧州は理性的な議論の日々を持ち、コーヒーハウスの人気は高まった。

おさまらないのは顧客を奪われたパブやビアホールの経営者である。
彼らの怒りの矛先はなぜか「コーヒー」に向かい、1663年に「一杯のコーヒー、あるいはコーヒーの本質」という非難声明が出される。

「忌まわしき飲み物」「煤のシロップ、古靴の煮汁」「キリスト教徒をトルコ人に変える」などという文言が並び、キリスト教徒ならワインを飲めと結んでいる。
事実、1600年頃にクレメンス8世がコーヒーに洗礼を与えて、コーヒーの存在をキリスト教世界に迎え入れるまで、「キリスト教徒の聖なる飲み物であるワインをイスラム教徒は飲めないため、悪魔からコーヒーを与えられる罰を受けている」として、「悪魔の飲み物」にあたるコーヒーの飲用は教会で禁じられていたのである。
アルコールの販売で身を立てる者たちがコーヒーに抗議するため宗教の威光を借りたという格好だ。

そういう意味では当時、コーヒーとワインは、対立する二大一神教の名代だったとも言える。
現代においてこのふたつの飲料が、ともにポリフェノールの効用でさまざまに健康に寄与していることは、皮肉なことにも思えてくる。

そのような心理的背景から、後にフランスにもコーヒーが持ち込まれた時、その毒性を中和しようとコーヒーに牛乳を加える飲み方が流行した。これがカフェ・オ・レの始まりである。
現代では純粋にコーヒーとミルクのハーモニーを楽しむために飲まれている方が多いと思うが、なんとなく体に優しいのではないかという感覚があるのは事実だろう。
長い時間をかけて作られてきた観念というものはなかなか変えられないものだ。


コーヒーに抗議をしたのはアルコール販売者だけではない。
同じ頃、「コーヒーを難じる女性からの請願」なるものが世に出ている。
副題に「萎えさせ衰弱させる飲み物の飲み過ぎによりて、性生活に生じたる大いなる不如意を世間に問う」とあって、まあこの副題を読んだだけでだいたい内容はわかる。
カフェインと性生活との間に医学的な関連性は見いだせないから、コーヒーハウスに入り浸りで家に寄り付かない旦那さんを非難するための言いがかりというところだろうか。

ところが、あろうことか国王チャールズ二世がこれを真に受けて、コーヒーハウス封鎖令を布告したものだから国内は大騒ぎ。
結局、3000軒にもなっていたコーヒーハウスを封鎖すると税収に大打撃があるとわかって、これを10日間で撤回してしまった。
この歴史的失政のあと、コーヒーハウスへの非難は下火になっていく。


ところで、このコーヒーハウスが生み出した習慣がある。
それが飲食店やホテル、タクシーなどの接客者に渡される「チップ」という習慣で、これは当時コーヒーの値段が1ペニーと非常に安価で、店員の給料が出ないことから「確実に素早いサービスの対価(To Insure Promptness)」と書かれた箱が置かれ、客がそこに投げ銭を入れるというシステムが出来た。
この頭文字をとってTIP=チップと言うのだそうだ。

日本ではこのチップという習慣はないが、世界中どこでもコーヒーを飲ませる場所というのは安価で長時間いられるようになっている。
社交場が男性たちを家に寄りつかせないほどの魅力を放っていた時代にはそれで成立したビジネスも、娯楽に満ちた現代ではなかなかに厳しい。
「黒船」スターバックスの到来で、より洗練された「場」を安価で提供されるようになると、旧来型の喫茶店は「味」の追求という方向転換を迫られた。
これこそが現代のコーヒーハウスの受難。

しかしこの日本型の新しい喫茶店像は、まわりまわってアメリカのサードウェーブを生み出すモデルとなったのだから、なにごとも受難こそが成長の源泉ということなのだろう。


2016年3月8日火曜日

コーヒーの「名前」についての雑談

コーヒーのわかりにくさ、というのは飲料の素材となる「豆」の名称にも表れている。

「モカ」は、大英帝国が、東インド会社を置いたイエメンのモカ港からイエメン産(マタリなど)とエチオピア産(ハラーなど)の豆を輸出していたことからその名がついた。
現在、すでにモカ港自体がなく、農園単位でコーヒー豆が取引される実情に合わないため 「モカ」の名で商品が売られることはなくなり、その後列強が世界中に拓いた植民地で作られるコーヒー豆の多くは、「国名」+「地域名または農園名」で呼ばれるようになった。

ちなみにカフェジリオでは、モカに相当する豆は、エチオピア・イルガチェフェというのを扱っている。これはイルガチェフェ村の産という意味だ。

しかし困ったことに、飲料としてのコーヒーの味を決定づける「焙煎度」にも国がらみの言い方が存在する。
フレンチやジャーマン、イタリアンといった具合で、フレンチとジャーマンは同じ焙煎度でフルシティ・ローストの少し上、イタリアンローストはエスプレッソ用でさらに深い。

9年前にこの店を開いたとき、もうスペシャルティ・コーヒーもずいぶん浸透した頃だと思っていたが、実際にはそれほどではなく、よくお客さまに「あら、エチオピアやタンザニアはあるのにジャーマンはないのね。狸小路の○○という店のジャーマンが好きなのに」などと言われたものだ。

さらに地域(部族)名がそのまま通称になっているマンデリン(インドネシア・スマトラ島)やブルーマウンテン(ジャマイカ) のようなものもあって全部が全部国の名前で売られているわけでもなく、とは言え、戦後すぐにコーヒーの世界に入ったレジェンドっぽい人なんかは、マンデリンなんて言い方は駄目でスマトラ・アラビカが正しいと言い募ったりするが、それも一般的とは言えない。

最近では、パナマのオークションでエスメラルダ農園のゲイシャ種が史上最高値を付けて話題になり、原種に近い古い栽培種の「ゲイシャ」の名がついたコーヒー豆が市場を席巻したこともあった。

さらにさらに、ジャコウネコがコーヒーの実を食べた糞の中から未消化の種を取り出して焙煎する「コピ・ルアック」(コピ=コーヒー、ルアック=ジャコウネコ)というのまである。



もうひとつ困るのは、所謂「アメリカン・コーヒー」というやつで、はじめて当店においでになるお客様で、メニューを見ずに「あ、アメリカンね」という方は今でも一定数いらっしゃる。
この場合のアメリカンは「薄いコーヒー」の意味だろうが、由来から言えば、アメリカンというのは焙煎度の浅いコーヒーなわけで、やっかいなことにダイエットなどに効果があるというホントかウソかわからんような話を真に受けて浅煎りコーヒーを探している人なんかもいるもんだから、困ってしまう。
ま、可溶成分が充分析出されない浅煎りコーヒーを、うちは置いていないので、確認せずに薄めたコーヒーを出すわけだが。

そこそこコーヒーに詳しい人だと、そういうことを知っていてアメリカン・コーヒーが日本にしかないという皮肉を話題にしたりするが、実はイタリアのバールなんかで「カフェ・アメリカーノ」とオーダーすると、エスプレッソにお湯の入ったポットがついてきたりする。
アメリカ製が「薄い」と思っているのはわりと世界の共通認識なのかもしれない。



2016年2月6日土曜日

カフェイン有害説の起源

今日の北海道新聞の朝刊コラム「各自各論」に、カフェインについての文章があった。
旦部幸博さんという滋賀医大の講師の方が書かれている。
今月「コーヒーの科学」という書籍を発刊予定という。


コラムでは、昨年末、国内で起きたカフェイン錠剤とエナジードリンクの併用によるカフェイン中毒死事故を取り上げ、カフェインの致死量とコーヒーの関係について記述している。

致死量があるのだから、やはりカフェインは毒物なのか、と感じるが、それはアルコールも同じで、過ぎれば毒になるものと我々は上手に共生してきたのである。
しかし酒の話ならば、飲み過ぎはダメよ、ということになるが、カフェインの場合には、存在自体が毒物というイメージがつきまとっているように思う。
その「カフェイン有害説」には根深い原因があるとコラムでは、書かれていた。
詳しく調べてみたので、こちらでもご紹介したい。

それは19世紀末のアメリカではじまった。

C.W.ポストという働き過ぎで神経症になった男がいた。
彼が治療を受けたのは、ケロッグ博士の療養所であった。
ケロッグ博士はシリアルと穀物から作ったカラメルコーヒーという代用飲料で健康な体が作れると主張して、あのケロッグを作った人だ。
いろいろと珍妙な健康法を作り出して、商業的には成功を収めたようだが、その珍妙さは後にブラック・コメディの映画が作られるほどだったという。

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C.W.ポストは、ケロッグ博士の療養所では治癒せず、「病を治すのは医療ではなく、祈りである」という教義の新宗教、クリスチャン・サイエンスに傾倒する。
にもかかわらず、恢復した彼は、ケロッグの療養所で知ったシリアルと代用コーヒー「ポスタム」の会社を興すのだ。

そしてそのポスタム売り込みのためのカフェイン攻撃ネガティブキャンペーンがはじまる。
このキャンペーンは、たまたまコーヒーの消費者価格の高騰と重なり、大成功。
ポストの事業は大成功を収める。

その後、C.W.ポストは「シリアルとポスタムで病気知らず!」「シリアルを食べれば虫垂炎にならない」というキャンペーンの文句を考えれば大変皮肉なことに、1914年に神経症を再発したうえ、虫垂炎を発症し手術を受けることになった。
同年、彼は入院中にピストル自殺してしまう。

その後、ポストの事業は娘が引き継ぎ、社名を「ゼネラルフーヅ」に変更された。
まもなく同社は、コーヒー焙煎会社マクスウェルハウス・コーヒー社を買収して、コーヒー事業に乗り出すことになる。
どういう経緯があったのかはわからない。しかしこれ以上皮肉な話があるだろうか。

さて、現代の巨大なコーヒー産業を「豆の流通」という視点で見た時、避けて通れないのが4つのコーヒー・メジャーの存在だ。
「ネスレ」「P&G」「クラフト」「サラ・リー」
この四社によって、コモディティの豆の流通の大部分が担われている。

この中のクラフトという会社は、日本でもチーズでよく知られているが、この会社のコーヒー部門の母体が「ゼネラルフーヅ」なのである。

日本では、クラフトチーズは森永の扱いだが、コーヒー部門のマクスウェルハウスは、1950年に設立された日本法人がその後、味の素と合併しAGFとなったので関係が見えにくいが、ブレンディやマキシムといったコーヒー・ブランドで生活の中に浸透している。

19世紀末のカフェイン・ネガティブキャンペーンが莫大な資金を生み出し、それが結果的にコーヒー四大メジャーの一角を作り出したということになる。
やはりコーヒーの歴史は、人の「欲」の歴史なのだなあと思う。

2016年2月1日月曜日

YKKがカフェをオープンした件で、日本におけるブラジルコーヒーの歴史を振り返る

ファスナーで有名なYKKが、東京墨田区にカフェをオープンしたそうだ。
カフェ・ボンフィーノといって、国技館近くのYKKのビルに隣接している。
使われているのは、ブラジルにある自社農園の豆。
店内に設置した大型焙煎機で自家焙煎している。

YKKは、1972年にファスナー事業でブラジルに進出し、そこで得た利益を再投資し、85年、セラードに3300万坪の大規模なコーヒー農園を開いた。
栽培されているのはカトゥアイ種だそうだ。
生産性が高く、病気に強いが、ロブスタとの混合種であるため風味には劣るように思うが、自家焙煎の鮮度がそれをカバーするだろう。


ブラジルコーヒーと日本の関係は昔から深く、明治41年に日本からブラジルへの最初の移民793名を載せた船「笠戸丸」が神戸から出港した時に始まる。

その笠戸丸出港から100周年を記念して発行された記念硬貨。

当時ブラジルは、奴隷解放によって農園の働き手を失い、国家的な主力産業であるコーヒー農園での労働力を求めていた。
しかし、賃金労働者と奴隷の区別がつかないブラジル園主と外国人労働者の間でドラブルが続出していた。

同じ頃、日本では人口増加による食糧不足、日露戦争帰還兵の失業者問題が深刻化していた。
その解決策として、日本人のブラジル移民を計画したのが皇国殖民株式会社社長、水野龍だった。
最初の移民事業が、前述の「笠戸丸」である。

日本人移民もまた、奴隷の扱いしか知らない農園主のもと、多くの困難と忍耐を強いられた。
大きな成果も上げられず移民事業は大きな赤字を抱えてしまう。

ブラジルのサンパウロ州政庁は、そんな水野の移民事業に対し、年間1,000俵の珈琲豆の無償供与と東洋の一手宣伝販売権を与え、日本におけるブラジルコーヒーの普及事業を委託した。
これがカフェ・パウリスタの始まりで、当時は南米ブラジル国サンパウロ州政府専属珈琲販売所と銘打っていた。 大隈重信もこの事業に協賛したという。

日本のカフェ文化は大きな拡がりを見せたが、戦争がすべてを壊してしまった。
戦後、GHQ経由で入ってきたコーヒー豆で、個人店が隆盛を見せたが、高度経済成長時代のライフスタイルに合わせてセルフ店が出てくる。
その先駆けがドトール・コーヒー。

ドトールとは、創業者の鳥羽博道がブラジルのコーヒー農園で働いていた時の下宿先の住所に由来する。
サンパウロのドトール・ピント・フェライス通り85番地。
 ドトール・チェーンは1400店舗以上あり、約1000店舗の日本スターバックスを上回る店舗数を誇る、いわば国民的カフェだが、その原点もまたブラジルだったということだ。

そして今度はグローバリズムの文脈で、再びブラジルへの進出がはじまった。
YKKの農園経営とカフェの今後を見守りたい。