2014年2月25日火曜日

あらためて考える「広報」のこと

世の中にはプロブロガーと自称する人たちがいる。
日常生活のログをウェブに記録するための日記サービスであるブログを、広告掲載のためのメディアに見立てて、収益を上げている人たちのことだ。

その中の一人が書いた記事にこんなことが書いてあった。

特に大きな企業だと、インタビューをする際に「広報確認」が必須だったりするんですよね。「インタビューするのはいいですが、まずはできあがった原稿を見せてください。あと画像素材もすべて。広報に確認します」的な。これがライターとしては非常にだるい。先方に何の悪気はなくても、げんなりします。(略)どんだけ警戒しているんですか…と。冷静に考えると、それはインタビューを受ける社員に対しても失礼なわけです。要するに「こいつはまずいことを喋ってしまうかもしれないから、一応広報でも確認しておくか」ということですから。


かなりのPVを稼ぐ人気ブログの筆者らしいので、文筆に自信がありライター稼業もはじめたのだろう。
自分の好きなことを書けばいいブログと違って、依頼主のいる文章は依頼者の意向に沿っていることが求められるため、そこに苛立っているようだ。


僕は、このカフェを開く前、専門学校の募集広報を作っていたから、お客様である専門学校と、どのような広報誌面にするかずいぶん議論をしてきた。
出来上がった原稿を、お客様にお見せすると必ず直しが入る。
確かにやっかいな仕儀だ。

だが内実というものが簡単に理解できるものでない以上、この手順を省いてしまうわけにはいかない。


またこの自称プロブロガー氏は、このようにも言っている

「もっと自社のことを知ってもらいたい」という前提があるのなら、「広報確認」という作業は時代遅れきわまりないです。人件費の無駄です。広報が人力で確認している暇があるなら、信頼できるライター、ブロガーを見つけてバンバン好き勝手個人名で書いてもらった方が成果出ますよ。


世の中の「仕事」というものが、このような薄っぺらい価値観で測られているのだとしたら、未来はそうとうに暗い。
そして、このような浅薄さは、確かに社会に蔓延しているように見える。

仕事における浅薄さは、その仕事を為した人が同時に消費者でもあるわけで、当然生活にも忍びこむことになる。

こうして、味のわからない消費者がブランドネームだけで食べるものを選び、どうせ味がわからないのだからと偽物を提供するゲームが成立するようになる。
偽物なら価格は安くできる。
そうした「企業努力」を評価して、価格の安い方に人は集まる。
そのようにして、ものの値段は際限なく下がっていく。

本当に美味しいものを提供したいと考えている人は、そのようなルールのゲームに乗る訳にはいかない。だからなるべく、その姿を世間から隠していく傾向になるはずだ。

姿を隠しながら、食品の真価を知る人たちを顧客にするための「広報」こそが奥深い。
そのために「どんな人に来てほしくないのか」を先鋭化する必要があるからだ。
だからここで言っている「広報」とはまさに経営そのものなのであって、どこかのプロブロガーに委託できるようなものではない、と知るべきだ。


今回の記事には、取り上げたブロガー氏の名前も記事へのリンクも貼らない。
彼はどうやら、このように人が大切にしているものを、軽薄さを装って踏みにじる記事を書いては、反論を集め、その反論に貼られたリンクをも使って大量のPVを稼ぐ「炎上屋さん」らしい。
自分への非難の声を集めたPVで生活をするという美意識が僕にはどうしても理解できないが、まあ、今回は僕も見事に釣られたわけで、せめてリンクを貼らないことでささやかな抵抗をしてみた次第だ。


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