2012年11月5日月曜日

エコノミーとエコロジー:The road to Cafe GIGLIO part-1


人通りのない住宅街の真ん中でカフェなどをやっていると、皆さん不思議がって下さる。

「もともと、この家を持っていて改装したんですか?」
「いいえ、このお店を作るために買った土地です。」

「相当宣伝しないと、お客さんこないでしょ?」
「おかげさまで、お客様のご紹介で、生産できる量に見合ったお客様にお越しいただいています。」

「え、6時までしかやってないんですか。明日はやってますか?ええっ、日曜日が休み?」
「すみません・・・」
「ああそうか、趣味でやってるお店なんですね。」
「・・・・」

相当不思議なのだと思う。
だからなのか、異業種交流会を主宰する先輩や、職業訓練の講演会、あげくに母校の北海道大学で就職講演などにまで呼ばれてカフェの経営についてお話をする機会をいただいたりする。
せっかくまとめたので、そういう時にお話する内容をかいつまんで書いておこう。

この店の着想を抱いたのは20年くらい前のことだけど、その時から「大きい通りの一本内側の路地」で「一階が店舗で二階が住宅」という明確なイメージを 持っていた。実際は二本内側になっちゃったけど、ほぼイメージ通りに店を作った。

経営的な見通しのことは不思議なくらい考えなかった。
決めていたのは夫婦二人だけでやるということ。
だから、商品を作れる量が決まっているわけで、なるべく明快なコンセプトを決めた方がいいと思った。いやそうでなくてもコンセプトは明快な方がいい。誰でも来れる店は、誰も来ない店になるから。

ではなぜ、「家」で、なぜ「夫婦ふたりだけ」で、か。

私の前職は株式会社リクルートで、専門学校の募集広告を作る部門での営業担当だった。お客様である学校の経営者たちは、皆さん「いい学校とは何か」という大きな問いに悩んでいたように思う。だから我々もそれを知ろうと勉強会組織を立ちあげてみんなでやいやい議論した。いい学校とは何かを語ろうとした時、「学校とは何か」を決めておかなければ正しく議論することはできない。生徒一人が教師から何かを「学ぶ」。その学びの集合体が「教室」で、その教室の集合体を「学校」と呼ぶ、とその時は定義した。ははあ、では究極の良い教育とはそれぞれの生徒に合った一対一の教育でしか実現できないね、と気付いた。確かに王族や貴族の教育はそういうスタイルだったはずだ。近代の市民社会を支えるための経済性から生まれた制約が学校という組織形態だったのだ。
逆に言えば、品質を落とすことが利益に繋がる、という構造になってしまう。
なんだかこれは少しおかしいぞ、と思うようになった。

それで、もともと文学好きでしかも専攻は哲学科で夢見がちな性向が強く経済や経営のような実学には興味がわかなかった自分だが、経済や経営が不思議な人間の裏側を表現しているような気がして、俄然調べてみたくなったのだ。

調べごとには本当に便利な時代だ。図書館にこもったりすることもなく、ほどなく経済学=Economicsの語源である「オイコス」という言葉に行き当たった。これはギリシャ語で「家」を表す言葉で、ギリシャ時代すべての事業は「家業」であったことに由来している。
かの時代、家々はそれぞれに家業を営み、その連携によって社会を作り上げていた。
それぞれの家業の売上を最大化するための内的要因を考えるのが「オイコノミー」で、これが経済を表すエコノミーになった。
また、儲かりそうな事業があったとして、その市場に同業者がたくさん現れて共倒れになったりせず、むしろ相互利益が得られるようにコミュニティ内で事業設計していく思想を「オイコロジー」と呼び、これが後に「エコロジー」となる。
脱線するが、これが現在「エコ」と呼ばれているものの語源で、動植物の世界では多様な生物が非常に狭い世界(これが「ニッチ」で、現在ビジネスの世界で狭いマーケティング・ドメインを指す言葉の語源である)で少ない資産を共有するので相互利益を最優先して自らの身体までもデザインしているように見える。その様子が、互恵関係によって成り立つオイコロジーと似ているので、環境科学をエコロジーと呼ぶようになったのである。

家業というキーワードから派生した「経済」という言葉が、内的努力による発展と周囲との互恵関係との両輪で形成されていたという発見に私は夢中になった。これが答えだと思った。
品質を落とすことが利益になる、なんておかしな構造が成立するのは、ギリシャ時代と較べて圧倒的に「ニッチ」が大きくなったからに過ぎない。だから躍起になって「グローバリゼーション」をするのだ。歪まない方がおかしい。
品質を上げてこそ利益が生じるというタイプのビジネスはどうやったらできるのか、一所懸命考えたつもりだが、そんなこと思いつくくらいなら経済学者になれる。そうでない私は、「オイコス」を再現してみよう、と思い立った。コミュニティの希薄になった現代のオイコスのカタチを模索しようと決めた。

で、家を店舗にして夫婦だけで経営する店を作ろうと計画を始めた。
家を作ってくださったデザイナーさんにも、こういった趣旨についてお話をして設計していただいた。そのついでに、現代の経済が如何に宿命的に歪んでいるかをお話して、こんなシステム早晩壊れちゃいますよ、と言っていたらリーマン・ショックが起きた。言ってたとおりになりましたね、と言われた。ほんのちょっとだけ責任が重くなったような気がした。
もう開店して6年になるが、幸いスタートから安定した経営ができている。しかし、新しい時代の「オイコス」になれているかは心もとない。ますます、褌を締めて頑張って行きたい。

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