2012年9月19日水曜日

ソウルフード

専門学校の広告を仕事にしていた頃、感心した企画のひとつに某有名調理系専門学校が実施した、「あなたの最後の晩餐を教えて下さい」という巻き込み型広告があった。

「もし地球最後の日が来たとしたら、最後の晩餐に何を食べますか?」
そう問いかけるアンケートの回答を編集して、広告紙面を作るという企画。

高校生から帰ってきた返答のほとんどが、家族との想い出にまつわる食べ物だった。
そこを狙って作った企画なのに、その心の準備を上回る感動的な回答の数々に「食」というものが、いかに人間の深いところと結びついているかを改めて痛感させられたものだ。


僕は3歳から18歳までを釧路で過ごしたが、家族でたまに外食をするとなると「泉屋」という洋食店で、よく熱した鉄板に盛りつけられたスパゲティーミートソースの上にカツが載った、通称「スパカツ」を食べるのが定番だった。

釧路の人でこれを知らない人にはいまのところ会ったことがないし、友人たちもたまに帰省すると立ち寄って懐かしい味に思いを馳せると聞く。

太くて芯のない、アルデンテとは対極にある麺。
鉄板の上で盛大に跳ねまくるミートソース。
普通盛りでもちょっと完食に苦労するボリューム。
肉厚なカツ。
だけど(だから?)ウマい。

さらに今はもう無くなってしまった丸三鶴屋というデパートで買いものをした後に、隣のいなり小路という商店街にあったまんじゅう屋で大きな肉まんを買って家で食べるのが何よりの楽しみだった。
このまんじゅう屋も今はもう無く、閉店したと聞いたときは本当に悲しかった。

同じように帯広の人は「インデアン・カレー」という店のカレーに特別な感情を持っているようだし、室蘭のカレーラーメンというのもきっとその類いのソウル・フードなのだろう。


その釧路を離れて大学進学のため札幌に出てきた僕は、外で食事をするたびに泉屋のスパカツに似た店を探したが、そんなものはなかった。
最初に借りた部屋は北32条西6丁目の第二高森ハイツという小さなアパートで、北31条西4丁目あたりにあった、満龍という中華料理のジャンボあんかけ焼きそばというのが気に入ってよく食べていた。

ずいぶん後になって結婚して住んだ川崎で、溝の口という駅の隣に「満龍」というお店を見つけて、入ってみたらジャンボあんかけ焼きそばというメニューがあって、食べてみたらまったく同じ味でびっくりした。チェーン店だったんだろうか。

大学の近くにあった時館(じかん)という軽食喫茶の「アトム丼」というオリジナルメニューも大好きで授業の後、サークルの仲間とよく食べにいった。
北24条の宝来という中華料理屋のC定食(回鍋肉)も定番だったな。


大学を卒業して就職のため東京に出た。
最初のオフィスは新宿にあり、初めて目にした大都会は目眩がしそうなほど人がたくさんいて、そこら中に美味しそうなお店があり、どこにだって行列ができていた。

釧路も札幌も田舎というわけではないと思うが、僕には並んで食事をする習慣はなかった。
埼玉県が僕の担当エリアだったので時々西武新宿線に乗るのだが、雨の日はサブナードという地下商店街を通っていくと濡れずにすんだ。
サブナードにはいくつも飲食店が入っていたので、そのどこかで昼を食べてから午後のアポイントに向かおうと物色していて目についたのが「ロビン」というカウンターで8席ほどしかない小さなスパゲティー専門店だった。
店に入って明太子スパというのを注文した。

僕の知っている明太子スパってのは茹で上げたパスタにバターと明太子を合わせて海苔をパラパラって感じのやつだが、何故だかいきなりおっきい中華鍋にすでに茹でてあったらしき麺と明太子とたっぷりの野菜を入れて激しく炒め始めた!明太子が調理場内でバチバチ跳ねている。
それをものともせず、中華鍋を振り続ける。それをジャっと皿にあけて「お待ち」と言いながら僕の目の前に置いた。まだ明太子がバチバチいっている。
全体によく明太子が絡んだ太い麺をフォークに巻き付けて口に入れたその瞬間、僕はあの泉屋のスパゲティーを思い出していた。
全然違う味なのに、その飾らないスパゲティーからは泉屋のあの懐かしい感じが立ち上ってくるのだ。

その日から週に一度はその店に通った。
他にもたくさんのメニューはあったが、明太子が最高だった。
そのうち自分のオフィスが銀座に移ってしまったが、新宿に用事があればサブナードまで足をのばしてロビンに行った。

しかしいつの間にか、サブナードからロビンも消えてしまった。

有楽町に「ジャポネ」という店があり、似た風味が味わえるのだが、あの反則的な明太子スパの豪快さだけは、あそこでしか味わえない。
今は小田急永山のあたりで中華料理屋として営業していてスパゲティーも出しているそうだ。ぜひとももう一度食べたい。


自分が「地球最後の日の晩餐」に選ぶのは、きっとこうした通い詰めた店の、飽きもせず食べ続けたメニューのどれかだろう。いやできれば全部食べたい。ぜひとも全部を。

しかし、こうして振り返ってみると自分のソウル・フードと呼べる食べ物はガイドブックなんかで探した店はひとつもなくて、通ってた学校の近くや職場、住んでいた場所の近くのお店が多い。生活導線の途中に無ければ通い詰めることは難しいので当たり前なのだが、だからこそ我々も近隣の皆さんのソウルフードになりたい、と思う。

ずっと前に、初めていらしたお客様が「ああ、これ子供の頃よく食べたショートケーキの味です。懐かしいなあ。」と言って下さったことが、なんだかすごく嬉しくて思わず涙ぐんでしまったのだが、今でもこれ以上の褒め言葉はないなあと思う。
そして、そんなふうに言っていただける方を少しでも増やす努力を続けることが、生活の場に密着した飲食店のたったひとつのミッションだと、今は確信しているのだ。

(旧Cafe GIGLIO Blogから再掲)