2015年2月5日木曜日

あらためて珈琲のこと Vol.3 鮮度と豆の袋

コーヒー豆を買いにいらっしゃったお客様に、
「真空パックにしてくださいね」と言われたことがある。
あまり考えずに「真空パックには出来ないんですよ」と答えたが、おそらくお客様は、この店には真空パックの機械がないのね、と思っただろう。
事実機械も持っていないのだが、それは焙煎したての鮮度の高いコーヒー豆が、物理的に真空パックに出来ないものだからなのだ。


コーヒー豆の鮮度

焙煎直後、コーヒー豆からは炭酸ガスが激しく発生するようになる。
もしそのガスを外に出す仕組みを持っていない袋に豆を詰めると、まもなく破裂してしまうだろう。
当然真空パックなど出来るはずがない。

このガスは一週間もすれば全く出なくなるので、真空パックしてくれる店があるのだとすると、一週間以上経った豆を売っているお店、ということになる。焙煎によって焼成された香味成分は、一週間で6割以上失われてしまう。
本当のコーヒーを味わいたければ、真空パックは出来ないと言ってくれるお店で買うのがいいだろう。

コーヒーの主に理論的側面を教わったホリグチコーヒーでは、コーヒー豆の袋にシーリングすらしなかった。豆をいれて袋をくるっと巻いて輪ゴムをパチン。そのままはい、と渡されるくらいだ。


酸化のこと

でもそれでは酸化してしまうのでは、と思われた方は賢明だ。
しかし酸化を避ける方法は事実上無いのである。
なるべく遅らせる方法を考えるしかない。

で、まずは身も蓋もない事を言ってみるが、コーヒー豆というものは「豆」の姿でいる限り、そう酸化はしないものである。
粉砕して粉の形になったとたん激しい酸化のステータスに入る。

標準的な中細挽きで、表面積は800倍になるそうだ。
空気に触れている面が800倍になると、酸化のスピードも800倍になるのかどうかはわからないが、800倍のスピードで進む世界では24時間は1分48秒になってしまう。
そこまでのタイム感ではないにせよ、粉にしてしまったコーヒーを翌日淹れると、いつものようなレスポンスが返ってこないためコーヒーを淹れた気にならないというのが偽らざる感覚だ。
仕事を離れて自分のコーヒーを淹れる時なら別に豆は焼きたてでなくてもいいが、それでも「挽きたて」であることだけは譲れない。

だから酸化対策の、と言うより美味しいコーヒーを飲むための第一歩は「ミルを買う」ということにあるのだ。
ね、身も蓋もないでしょう。


あまりに身も蓋もないので、もうひとつ。
酸化は化学反応なので、温度が下がればスピードが下がる。
それで僕は冷凍庫で保管することを推奨している。

冷凍、冷蔵に異議を表明する珈琲屋も多い。
ひとつは結露のリスクがあること。(これは実際になったのを見たことがないです)
もうひとつは豆の温度が低いので、出来上がったコーヒーの温度も低くなること。 (湯の温度を高くしておけばいいと思います)
匂いが他の食品につく、というのもあって、これは僕も認める。それもあって「豆」で買って、冷「凍」庫で保管、を推奨しているのである。

いずれにせよ、効果とリスクはトレードオフだ。
生活のスタイルとの兼ね合いで採用できるものからお試しいただきたいと思う。

2015年2月4日水曜日

あらためて珈琲のこと Vol.2 酸味と苦味

珈琲豆の味について語る時、一般に使われる言葉は、だいたい「酸味」「苦味」と「浅煎り」「深煎り」くらいだろうと思うが、この酸味という言葉が曲者だ。

珈琲の酸味

実は焙煎前の生豆(なままめ、と読みます。きまめ、とは読めませんのでご注意ください)は、食べられないものだが、例えばすり潰して舐めたとしたら酸っぱい味がする。
だから当然、焙煎が浅いほど仕上がるコーヒーも酸っぱい。
そして世界各国のどんな栽培種の豆も深く焙煎すれば一様に苦くなる。

だからもし、珈琲の味を酸っぱいか苦いか、で判断しようとするということは、浅煎りか深煎りかという焙煎度をモノサシにして好みを表現しようとしているということになる。

そのことで言うなら、この豆は少し酸味を強めに活かして仕上げるか、とか、強く焙煎してやったほうがいい香味がでるんだよな、とか、とにかくコーヒーは苦くなくちゃ!とか、焙煎士によってその判断は様々だ。

しかし同じ深煎りにしてもエチオピアの珈琲とマンデリンではまったく味が違うのだ。
ある程度深く焙煎しても、ある種のエチオピアコーヒーには花の香りのような風味が残り、タンザニアコーヒーには柑橘のような強めの後味が残る。
マンデリンでは、苦味としか表現できない強い油脂の風味が感じられる。

このような同一焙煎度で感じられる「香味」の異なりが、珈琲の味の本来の違いなのだと思う。
論外なのは、焙煎から時間が経って豆自体が「酸化」しているケースで、胸焼けを伴う酸っぱいコーヒーになってしまう。

珈琲の苦味

残念ながらこのような香味の異なりをうまく表現する言葉は無い。
誰かが書いたコーヒーの味についての説明を読んで、それを飲んだとしても同じような言葉でそのコーヒーの味を表現したいと思うことは殆ど無い。
それは珈琲の味が「苦い」からだ。

このような珈琲の味の感じ方の違いは、カフェインが本来「毒」であるということに起因していると思う。
人間の体は「毒」を苦いものとして認識する。
事実カフェインは、コーヒーノキが虫などから自らの身を守るために体にまとった毒だ。
このため、コーヒーノキは樹木としては異例なほど寿命が短いが、種子が残る確率が高く生存圏を速く広めることが出来る。

本来毒であるカフェインを、ある種の興奮剤として摂取することを人類は覚えたが、やはり味覚はそれを恐る恐る味わう。
だからそもそも、苦味を理解するのは相応の経験が必要だ。
たくさん飲まないと、そこに潜んでいる複雑な香味はわからないものなのである。

その上苦味というやつは、それが毒であるがゆえに、その味覚の快感を誰かと共有する言葉を纏う代わりに、なぜそれを飲むのかという「自己」を前面化させる。
誰にとっても美味しいボンゴレビアンコはたぶん存在するが、万人に旨いコーヒーはきっと無い。
自分のためのコーヒーを選ぶことができるのは自分だけなのだと思う。

誰かの美味しいという言葉などあてにせず、それがどれほどの情熱を注いで焙煎され、丁寧に抽出されたものなのかを頼りにできるだけ多くのコーヒーを飲んでみて欲しい。
いつかきっと「腑に落ちる」コーヒーに出会う日がくるはずだ。

2015年2月2日月曜日

あらためて珈琲のこと Vol.1 水質と湯温

基本的なことだが、珈琲豆自体は湯に溶けない。
溶けているのは、焙煎によって焼成されたカフェインなど700種類以上にもおよぶ化学成分である。

これは焙煎によって珈琲豆内部に生じた平均7ミクロンともいわれるごく小さな孔の中に出来る。
それを幾種類かある抽出方法によって溶解させて飲んでいるのが珈琲という飲料なのだ。

あらためて珈琲のことを考えるにあたって、まずはこの溶解の媒体となる「水」について書いてみる。


水の種類

水に硬水と軟水がある。
硬水にはイオン化されたミネラル成分が含まれており、珈琲の味を形作っている様々な化学物質といろんな形で化合してしまう。ゆえに本来の味が出にくくなる。
わざわざ飲用のミネラルウォーターで淹れるのは逆効果になる可能性がある。
珈琲の抽出には軟水が適当だろうと思う。
家庭用浄水器を通した水が最も現実的な選択といえるだろう。

エスプレッソの本場はイタリアで、イタリアは硬水だから、エスプレッソには硬水がいいと薦めている珈琲屋があったが、バカなことを言ってはいけない。
確かにヨーロッパの水は硬水であり、だから基本的に最初から味が出にくい環境で珈琲文化を作ってきたところがある。
だからこそ味を強めに出すための「深煎り」が基本なのだろうし、それが結果的にエスプレッソという抽出法に辿り着く素地だったのだというだけことだ。
水道水で軟水が提供される日本では、このような前提に依らない、豊かで複雑な香味を保ったままの独自の珈琲文化を育てていける可能性があると思う。
自分自身も担い手の一員として、ここにこそ最大限の努力をしたいと思っている。


湯の温度

たとえばボンゴレビアンコを作るときの最大のポイントは、あさりから出てくる風味豊かな水分を、本来混じり合わない油であるオリーブオイルを過熱することで、熱力学的に非平衡な分散状態に移行させ混合白濁させるところにある。
これは乳化現象=エマルションと言われる。

珈琲豆も油分である。そして湯で溶かす。
だから一定の熱量があればエマルションが起き、よくできたボンゴレビアンコのように活性化した味が手に入る。

僕は珈琲豆の酸化を遅らせるために冷蔵庫で豆を保管しているので、かなり高めの温度にした湯を使う。
だいたい95度前後。
これでも抽出にかかる二分半を経てカップの温度は80度そこそこ。
少し熱めだが、味がわからない程ではない。
感覚的な話だが、なにより珈琲の持っているポテンシャルをぐっと引き出した実感を持てるのがいい。

逆に低い温度で淹れると、灰汁が出にくくなったり、脂分の持つ強い非平衡性がカップに混じらないためキレイで澄んだ味になるという側面もある。
だからこれは好みの問題だと思う。

湯温をどうするかは、注湯、もしくは浸漬のスピード(時間)と合わせて、抽出の段階で珈琲の味を作る大きなポイントなのである。
上記の原則を念頭において、いろいろ試してみて欲しい。