2013年10月10日木曜日

オススメは何ですか?

それほど多いことではないが、はじめてご来店いただいた方には、「オススメは何ですか?」と訊かれることがある。

つまり「どれが美味しいんですか?」と訊いているわけで、たとえご本人にその気がなくとも、それは「どれが美味しくないのですか?」という質問と、店舗側にとっては本質的に同義だ。
だから、少なくともすべての商品を自分自身の手で(それぞれにかなりの愛着と情熱を注いで)開発している我々のような小規模店では、「オススメは何ですか」という質問に答えることは原理的にできない。


そしてこの「店舗側にとっては」という但し書きがこの問題の要諦でもある。
お客様の側の心理はそのような店舗側の事情には関係なく、せっかくコストを支払うのだから、もっともリターンの大きなものを得たい、という部分に集中しているのだ。
当然だと思う。
で、見ただけでは「自分にとって」リターンの大きなものがわからない、ことがオススメを聞く理由ということになるだろう。

見ただけで味がわからない、というのは当たり前のことだ。
食べてみなくては、それが美味しいかどうかはわからない。

味覚を言語にするのはとても困難な事業だ。
長いヨーロッパの歴史が生み出したワインの「ソムリエ」があのレヴェルの精密さで他の分野に誕生しないのも当然のことなのだ。

味覚のことである以上、少なくとも僕はお店に訊いても無意味だ、と思っていた。
だから投資をしては失敗し続けて、時々巡りあうとても美味しい店とお気に入りの料理に歓喜しては「自分の店」のリストに書き足し、ともに楽しい時間を過ごしたいと思う友人を連れて行き、時には友人にそうやって見つけた店を教えてもらう。
ずうっと僕らはそんなふうに生きてきた。

情報だけがディジタルの海を泳ぎ渡って、そこここにリアルな波を引き起こす現代では、そのようなロマンティックな投資はもはや無駄でしかないのだろう。

そのような風潮を逆に利用したのが、今どきどこのチェーン店のメニューにもある、「今月の〜」とか「〜フェア」とかいうおすすめメニューだ。
会議室で決められたおすすめメニュー。
メニューが決まってからレシピが検討され、食材が発注される。
試食をして写真を撮って、コピーが発注される。
店員は淀みなく、お薦め商品を紹介し、「あ、じゃそれふたつ」みたいな感じで、最小限のコミュニケーションでその日の食事が決まっていく。

これは確かにスマートでコンビニエンスなやり方だ。
でも僕は自分の食べるものくらい自分で決めたい、と思う。

幸い私達のこの店には、ご紹介でいらっしゃるお客様が圧倒的に多く、ご紹介者様からお薦めのメニューを聞いておられるから、ケースとしては少ないと思うが、チェーン店のマナーを持ち込まれて困惑しておられる小規模店舗の方は多いのではないだろうか。


平成元年から18年まで東京でサラリーマンをしていた。
オフィスがあった銀座で、よくランチに行ったインドカレー「デリー」のドライカレー、四川料理の「嘉泉」の麻婆豆腐、焼き鯖がうまかった「かなざわ」。
昼に食べそこねた時は、東芝ビルの地下にもぐって「はしご」というラーメン屋でだんだん麺大辛にご飯、それに龍馬たくあんをたっぷり載せて食べた。
営業職だったから、営業先でもいくつか決まった店があった。
新宿ならサブナード地下の「ロビン」で明太子スパ、熊本ラーメンの「桂花」で、だあろう麺。
時々、渋谷に行くことがあればメリー・ジェーンに隠れて馬鹿でかい音でかかっているジャズを浴びながらアンチョビのスパゲティを食べるのが好きだった。
よく行っていた八王子では片倉駅まで足を伸ばして「えびす丸」で玉ねぎの刻みぐあいが絶妙なラーメンを食べるのが常だった。

夜になれば、先輩と「いなだ」という小料理屋に座り込んでカウンターに並んでいるうまそうな煮物を「うはー、これとこれちょうだい」なんて頼んで美味い酒を飲んだ。
時々は、有楽町のガード下の「ねのひ」で、ビール瓶の箱をひっくり返した椅子に座ってたぶん日本で一番美味いつくねを頬張った。
腹が満ちれば、ちいさなスナックに流れて常連さんと一緒に歌い、気持ちよくなっていつものバーへ。

自分で見つけた店もあれば教えてもらった店もある。
もちろん嫌な思いをしたこともある。
でも全部自分で決めたこと。
「自由でなけりゃ意味がないのさ、そうだろう」
と佐野元春も言っている。