2014年7月20日日曜日

コーヒーエンジニアリングの時代と、アイスコーヒーの真理

今年2014年のコーヒー業界最大のニュースは、10月に予定されているブルーボトルコーヒーの日本進出だろう。
先月のWIREDで特集が組まれていた。

WIRED VOL.12 (GQ JAPAN.2014年7月号増刊)

コンデナスト・ジャパン (2014-06-10)

ブルーボトルコーヒーが世界から注目されている理由は、サンフランシスコの小さなカフェで、ひたすら焙煎の実験を繰り返し、美味しい珈琲を追求していたジェームス・フリーマンの作る珈琲が素晴らしいということはもちろんだが、それ以上に、ブライアン・ミーハンというマネージャーがアップルを始めとするテック系出身の大物投資家を口説いて出資させているというニュースバリューにある。

完璧主義者のジェームス・フリーマンは、どこかスティーブ・ジョブスを彷彿させるところがある。
珈琲がうまけりゃそれでいい、ではなく、ディテイルを研ぎ澄まして、店舗や道具選び、商品の佇まいなどをコントロールしている。
シスコの店内の様子を写真で見ているだけで、アップルストアから感じる特別なエクスペリエンスが、ここにもあると確信できる。

この特集の中で、ブルーボトルコーヒーの創業者ジェームズ・フリーマンが「なぜ市販のアイスコーヒーはこんなにまずいんだ、と思って自分でも試してみると納得行く理由がいくつも見つかった」と言っていた。

この記事ではその具体的な理由には言及していないが、思い当たるフシはある。
この季節、お客様からはアイスコーヒーに関する質問が多く寄せられるからだ。

お客様が自分でアイスコーヒーを作ってみて、うまくいかないポイントは概ね「充分冷たくならない」と「薄くなってしまう」ということに集約できるようだ。
で、この二つは、充分冷たくならないので氷を足す、そうすると薄くなる、ということだから 同じことを言っているわけだ。

ブルーボトルコーヒーでの、このアイスコーヒーへの回答は「冷水で18時間かけて抽出する」というあっけないほど正攻法の水出し珈琲(ダッチコーヒー)だった。
確かにひとつの正解であるし、パック詰めして販売するルートを持つブルーボトルコーヒーにとっての最適解でもあるのだろう。

しかし珈琲の旨味成分には湯によって抽出しなければ、溶解しない成分がある。
また、油脂分を熱によってエマルジョンすることによって味を活性化するのも珈琲の醍醐味である。
そしてこうした珈琲の味の<膨らみ>こそ経時劣化に晒されやすく、決して流通ルートに乗せられない、<調理>によって作られるべき部分なのである。

ではどうするか。
その回答もWIREDに書いてある。
(またしても!)アップルのエンジニア出身で、昨年パーフェクト・コーヒーという豆売業を起業したニール・デイが言う。
「グラインド(挽く)がコーヒーの味を一番左右するのに、挽くべきコーヒーの粒子の大きさを正確に計測する方法が未だに確立されていない」と。
ニール・デイは、熟練のロースターに挽いてもらった豆の挽目を画像解析技術で再現するシステムを開発して、この豆売り業をスタートアップした。
非常に示唆に富んだ話だと思う。

なにしろグラインドがコーヒーの味を一番左右する、というのはまったくもって真理である。
寄り道したくなる誘惑を振り払ってアイスコーヒーにこの真理を応用すると、氷を使えば薄くなってしまうのだから濃い味のコーヒーをあらかじめ作ればいい、ということになり、そして濃い味は、挽目を細かくすれば実現できるのである。

ここで問題は、よく家庭で使われている手回しミルでは充分な細かさに挽くのに時間と労力がかかりすぎるということだ。
機械式でも、スイッチを押している間カット刃が回り続けるタイプのものは、挽目を再現するのが難しい。
しかし安心してほしい。
ここは日本で、日本にはKalitaがあるのだ。

Kalita ナイスカットミル (シルバー)
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このナイスカットミルという機械には、挽目を設定するダイアルがついている。これを一番細かい目「1」にセットしてスイッチを入れれば、いつでもアイスコーヒー用の粉が出来上がる。
この細かい挽目の粉20~25g程度(二人分)をペーパードリップにセットして、湯を注ぎ一人分の量のコーヒーを抽出すればいい。
それをすこし大きめのサーバー(4人用のものがいい)に氷を満たし、抽出した液を入れ、蓋をして零れないように振れば、アイスコーヒーの出来上がり。
氷を入れたグラスに注いで、あとは飲むだけ。

ついでに言うとミルのダイアルを「3.5」にセットすれば、いつだって最も適切なペーパードリップ用の粉が出来上がる。

ニール・デイの言っていることは本当で、ミルによって出来上がる粉の「揃い具合」がずいぶん違っていて、だからこそ、彼は画像解析技術なんかを使ってハイテクな粉砕をするわけだ。でも日本ではこのKalita社のナイスカットミルという手頃な価格のジャパンメイドの機械がその熟練の粉を作ってくれてしまう。家庭で充分作れてしまうのだ。

ニール・デイのパーフェクト・コーヒーでは、「世界中の家庭に挽いた粉を売る」というビジネス・モデルを実現するために、挽いてしまえば急速に酸化する粉を無酸素でパッキングするシステムを開発したそうだが、酸化しなくても、焙煎によって焼成したコーヒー豆の化学成分は6日間でその60%が失われる。 そして失われてしまわなければ炭酸ガスの発生は止まらず、無酸素のパッキングも出来ない。
残念ながらその方法ではいわばコーヒーとしては「死んだ」ものを流通させることになってしまう。
本来のコーヒーの味を引き出すもっとも重要なポイントは、「焙煎鮮度の高い豆を入手して、飲む直前に挽く」ということなのである。

修行時代に世界で最も定評のあるスイスのディッティング社の20万円以上もするミルを使わせてもらっていた。
確かにそのミルでなければ届かない味があるとは思うけど、だからこそ1万5千円ちょっとのKalitaがここまでの味を出すことが信じられないぐらい凄いことじゃないか、とかなり真剣に思っている。
コーヒーを入れるという行為を<調理>としてとらえた時に、メイド・イン・ジャパンのこの機械は欠くことのできない道具だと思う。

そういえば、ブルーボトルコーヒーは店舗ではペーパードリップで一杯ずつ落とすスタイルだが、フィルタはBONMACというKalitaのコピーを使っている。もちろん日本製だ。
ブルーボトルとともにサード・ウェイブの一翼を担う、サイトグラス・コーヒーでは、ハリオのV60の耐熱ガラスバージョンのものを使っている。


ハリオのV60は、コーノ式のドリッパーの生産を共同で行ったことから出てきた製品だが、この両者は日本の理詰めの道具作りのひとつの到達点と言えるだろう。
Kalita社のミルとあわせて、日本は、おそらく家で美味しい珈琲を飲むための環境に最も恵まれた国であるといえるのではないだろうか。

2014年7月18日金曜日

焙煎“道”では辿りつけない「苦さの限界」

先日、ビジネスとしてではなく、個人として珈琲の焙煎をやっている方とお話をする機会があった。
食に関する書籍や雑誌を多く出版されている会社で編集者として活躍されていた方だった。

お話を伺うと、最初に与えられた仕事が、当時全国にちらほら出来始めていた、ラーメンで言えば「家系」とでもいうべき個人経営の自家焙煎コーヒーの喫茶店を廻って取材をするというものだったそうだ。

その人の口から語られた、黎明期の、実に個性的な焙煎者たちの情熱や信念に大きな刺激を受けた。
それは煎じ詰めて言えば、「珈琲はどこまで苦くできるのか」という問い、のように僕には聞こえた。



珈琲の飲料としての発祥は、伝説レヴェル以上のことはよくわかっていないが、人類史にはイスラム教の秘薬として登場する。
一義的にはイスラム教の戒律のひとつ、「炭を食べてはならない」に反しているにもかかわらず、それを曲げてまで、霊薬として珍重されたことに、「苦さの限界」を追求する試みは由来しているように思う。
炭になってしまう一歩手前でこそ、この霊薬の薬効は最大化されると考えるのは、とても自然なことだ。
それほどまでに、追い込んで焼いた珈琲豆が醸し出す味の複雑さは魅力的なのである。


僕自身の話をすれば、修行時代、三人のお師匠さんについた。
お三方とも実に個性的な焙煎の方法論をお持ちで、共通する部分はほとんどなかった。
しかし煎り止めに関してだけは、「深煎り」とか「浅煎り」というものは無く、ただ最適な焙煎ポイントがあるのみ、という考え方で一致していた。

修行時代は関東、関西、東海の有名店の珈琲を飲んで廻ったが、一般に老舗の名店では非常に苦く、重たい質感の珈琲が出てきて、僕にはその味がちっとも魅力的には思えず、いつも胸焼け気味で帰った。
若い焙煎士が家業として開いた自家焙煎のお店の珈琲はどれもすっきりしたフルーティな肌合いの珈琲が多く、好感が持てた。
僕もそのような珈琲を焼き、淹れようと勉強し、練習し、準備をした。

それなのに、このカフェを開いて、3年、4年と焙煎士としてのキャリアを重ねていく中で僕の珈琲は徐々に苦くなっていったようだ。そしてそれを「上手くなった」のだと思っていたのだ。
だから、冒頭に書いたように、珈琲というものの宿業が「苦さの限界」を求めさせるという話には実に納得感があった。


でもその時のお客様の判断はそうではなかった。

お客様は普通わざわざ「苦くなってるよ」と教えてくれたりはしない。
ただ来なくなるだけだ。
ただでさえ、近所には東大阪の珈琲の神様の息子さんがやってるお店や、有機栽培の豆だけを炭火で焼くというキャリアの長い焙煎専門店がある場所なのだ。


ある日、出身高校が同じだということで親しくしてくださるようになった大先輩の常連さんに「最近、ちょっと苦味が強いようなんだけど、もうちょっと苦くないのある?」と言ってくださったのがきっかけで、全体的にすべての豆が苦くなりすぎているかもしれないと、自分でも思うようになった。
それで、他のお客様にも苦すぎないかお聞きするようにしたら、その会話の中で、札幌の喫茶店の珈琲は一般に苦味が強すぎると感じている人が僕の珈琲を買ってくれているのだということがわかった。

確かに、いくつか視察に行った札幌の有名店の珈琲はどれも黒々と油の出た豆をネルドリップで抽出する深煎り珈琲だった。で、それを苦手にしている人は意外にたくさんいて、そういう人は仕方がないので機械で珈琲を淹れるお店に行っている、というようなことがわかってきた。

でも、やはり機械抽出では本当に美味しい珈琲はできない。それでそういう人は、いつも珈琲の美味しいお店を探していて、それでカフェジリオの珈琲に出会って、 苦すぎなくて美味しいと認めてくださって、このわかりにくい不便な場所まで足を運んでくださっていたことがわかったのだ。


もちろん「苦さの限界」を自分の好みとして追求しているお客様もいらっしゃるだろう。
しかし、その手の珈琲はわりとどこでも手に入るのが札幌という街だとすれば、珈琲を焼いている僕自身が美味しいと思う、寸止めの苦さで身を立てていくのが筋というものだ。
そのように思い直して、焙煎度の調整を行って、今の珈琲の味に落ち着いている。


と、いうような話をしたわけではないのだが、冒頭の方に僕の珈琲を飲んでいただいた時、「商売としてそういうことはできないと思うから、あくまでも焙煎士個人として、一度苦さの限界を引き出す長時間焙煎を追求してみたほうがいいですよ」と言われた。

珈琲を一口飲んだだけで、言っていないことまでいろいろ見ぬかれてしまった気がして驚いたのだが、真に驚くべきはそれに続いて披露してくださった長時間焙煎のいくつかのノウハウで、僕に焙煎を教えた先生方が聞けば、きっと眉を顰めるに違いない。
しかし、だからこその「苦さの限界」なのだろうとも思う。

コーヒー好きが転じてコーヒー屋になってしまったのではない、僕のような焙煎士は、どうしたって成長するためにリクツが必要で、それを突き詰めていくと「ねばならない」の集合体である「道(どう)」になっていく。
焙煎“道”では辿りつけない境地ということか。

その日から、そのことばかり考えていたが、ふと、長時間焙煎に関係するいくつかのポイントが、品質が大きく変化していて今一番悩ましいマンデリン豆の焙煎に応用できそうだ、と気付いて今朝試してみた。
ダンパーの操作を少し極端に行うことと、最終煎り上がり直前の火力を思い切って早く下げていくのだが、思った以上に効果があり、仕上がりの焙煎度は高くなるのに、トゲトゲしかった飲みくちが少し丸くなってくれた。
ロブスタとの自然交雑が原因と思われる香味はいかんともし難いが、全体的な重たさがずいぶん改善されたと思う。

焙煎をはじめて8年。
まだまだ駆け出しである。
だからこそオモシロイ、と思う。