ほぼ全面的にコーヒーの生豆(なままめ)をお世話してもらっている中堅の専門商社のプライスリストの「ブルーマウンテン」の欄は、今月分も「欠品中」であった。
もう数ヶ月も欠品が続いている。
カフェジリオではレギュラーの商品としてブルーマウンテンを扱ったことはない。
生豆の価格が飛び抜けて高く(他の扱い商品の約5倍もする!)、全種一律価格の原則が守れないからだ。
なぜ一律にしているのかについては、大事なことなのでもう一度書いておく。
コーヒーの味の中核は「苦味」にある。
苦味は本能的な味覚でいうと「毒」の分類。
だから、人の舌はこれを恐る恐る味わう。解るのに時間がかかる。理解に経験を必要とする味なのである。
そして、コーヒーの味の違いは育てられた「土」の違いである。
思い切って簡略化していうと、コーヒーの品種というのは「アラビカ種」の一種しかない。
苦味の中ににじみ出る風土の味の違いを嗅ぎ分けているのである。
苦味の中の範疇にある味には、歴史的にそれを表現する言葉を与えられてこなかった。
だから味ははっきりと違うが、その違いを言葉にするのは難しい。
そして、そういう異なりを楽しむのがコーヒーだと僕は思っている。
問題は、このような微妙な味の差を楽しもうとする時、プライスタグに書かれた価格が「優劣」に見えて、邪魔をするということだ。
僕はこれを排除したいのだ。
それで、基本的にすべてのコーヒーに同じ価格をつけている。
時折、この値段でこんなうまい豆が!というのを見つけると、期間限定品として特別価格でお出しすることもあるが。
今もペルーのチャンチャマイヨという豆を少し安価な値付で出している。
ブルーマウンテンに話を戻す。
そういうわけで、ブルーマウンテンを扱わない当店ではちっとも困らないのだが、営業の人がなぜブルーマウンテンが長期欠品中なのか教えてくれたので書いておこう。
ご存知のかたも多いと思うが、この高価なコーヒーを飲んでいるのは日本だけだった。
統計で見る限り、ジャマイカで生産したほぼ全量を日本で輸入して消費していたことになる。
2004年の輸入量は1600トン。
それが昨年は500トンまで落ちこんだ。
欧米市場での拡販に迫られ、ブルーマウンテンの収益性は壊滅的に悪化した。
収益の落ち込んだコーヒー農家は、施肥や農薬の使用を極端に減らした。
結果、天敵であるサビ病の発生と、ベリーボーラー(豆喰い虫)の大量発生を招き、最盛期2200トンあった収量は今年600トンまで落ち込む見通しだそうだ。
僕がブルーマウンテンを扱わないのは、その高価格のせいだが、味が抜群にいいことも知っている。
時々、生豆屋さんから1Kgだけ買って焼いてみるが、およそ歪みというものの感じられないパーフェクトなバランスのコーヒーである。
こういうすぐれた作物が、ひととき経済的に潤った日本のために大増産して、それが買い手の事情で買ってくれなくなれば、一度揃えた生産体制を維持するために商品の品質を犠牲にせざるを得なくなる。
ずいぶん前の話だがスターバックスがエチオピアのイルガチェフェを買い占めて、2年くらい日本に入ってこなくなったほどだったが、それも短期で終わったため、巨大な買い手を失ったイルガチェフェ村のコーヒー農家では離農者や麻薬栽培に転作する人がたくさん出たと聞いた。
先日書いたコピ・ルアックの話も同じ。
消費者は移り気なものだ。
生産者の事情まで勘案しながら買い物などできないし、美味しいものがあると聞けば、欲しくなるのが人情というものだ。
「幻」をまぼろしのままに、「知る人ぞ知る」ものを、知る人ぞ知るままにしておけないこの情報化の時代が、食のグローバリズムを加速していく。
人類をこの星の支配者にせしめた旺盛な好奇心の奔流に飲み込まれて、本当に美味しいものの多くが、ゆっくりと姿を消していくことになるだろう。
残念なことだ。
2014年8月8日金曜日
2014年8月5日火曜日
幻のコーヒー「コピ・ルアック」のこと
英国ガーディアン誌に、コピ・ルアックの生産の「協力者」であるジャコウネコの飼育環境が劣悪で、是正を求める動物愛護団体の記事が出ていた。
コピ・ルアックは、インドネシアのコーヒーで、ジャコウネコがコーヒーの実を食べ、糞の中から消化されないコーヒーのパーチメント(豆を取り巻く繊維質)を取り出し、それを脱穀、精製して生産されるコーヒー豆である。
映画「かもめ食堂」でも紹介されていた。
元々は野生のジャコウネコの“落し物”の中から拾い集めたコーヒー豆を指していた言葉で、だからこその希少性があった。
コーヒーノキという種は、こうやって消化されない種子を他の動物に食べてもらうことによって、ニッチを拡げていくことを選択した種である。いわば、ジャコウネコはコーヒーノキの生存範囲を拡げるための重要なパートナーであったのだ。
では、人はなぜわざわざ動物の糞の中から拾い集めたコーヒーを飲むようになったのだろう。
それはもちろん味がいいからで、その味の優位性は、当時はもっぱらジャコウネコが良いコーヒー豆の実をより分けて食べることにあった。
現在でも我々焙煎士はコーヒー豆を選り分けてから焙煎する。ジャコウネコは我々よりも優れた選別眼を持っていて、良質の豆だけを選り分けて食べるグルメなヤツなのだ。
このコーヒーはいつか「幻のコーヒー」などと呼ばれるようになり、好事家たちが高値で買うようになった。
こんな絶好の商材を利にさといコーヒー業界が見逃すはずがない。
農家は、豆屋に指導され、コピ・ルアックを人工的に作るシステムを構築する。
かくてジャコウネコは家畜化され、かつては自分で食べる豆を選べたのに、今では農家が与えるどんな豆も食べなくてはならない。
そんなことより誇り高きグルメなジャコウネコが、かつてはコーヒーの種子を運んで行くコーヒーノキのパートナーだったのが、今度は人間をパートナーとして、上の写真のような狭いケージ(というようり監獄に見える)に押し込められて生涯を過ごす気分はどんなものだろう。
もちろん、すべての農家がこのような虐待を行っている訳ではないのだろう。
ある日本人起業家がインドネシアに渡って作ったコピ・ルアック用の農園は、日本の鶏の平飼いのような環境で、清潔で快適そうな環境でジャコウネコを飼っていた。
だとしても、現在のコピ・ルアックというコーヒーには、フォアグラや熊の胆嚢のような人間の欲望が生み出した「不自然」の匂いを感じざるを得ない。
一生かかっても食べきれないような美食の情報がデジタルの海を行き交い、「食べてみたい」の一心で、買い求めたり、出かけたりする。
食品の提供者は、欲望を煽る新しい方法を常に考え、それをいかに安価に大量に生産するかに心を砕く。
その影で、犠牲になるものがいる。
誰かの願いは、誰かへの呪いとなる。
どこかの魔法少女が言っていたとおりだ。
それにしても、ことコーヒーのことを話題にする時、英国ジャーナリズムは視点の大きな批判精神を持つ。
ウルグアイ・ラウンドの時に、アフリカの農産物に関する輸出条件の改善交渉を数多くの分科会に分割して、代表団の少ないアフリカ勢が十分に会議に参加できない状況を作り出したり、アフリカ側の言い分を「君たちには世界とか経済というものがよくわかっていないのだ」という一言で片付けたりしていたことを暴いたのも英国BBCだった。
この時のドキュメンタリー・フィルムはNHKでも放送されたし、後に「美味しいコーヒーの真実」という映画にもなったのでご覧になったかたもいらっしゃるだろう。
また、「コーヒーの真実」という著書で、奴隷貿易や植民地政策が搾取の構造を作り、多国籍企業がそれを引き継いで、コーヒー豆の取引を媒介して世界の貧富格差を拡大している様子を活写したアントニー・ワイルドもイギリス人だった。
この本を読めば、大元は、英国東インド会社のモカコーヒーの独占経営にあることがわかる。
自国の過去の過ちに自覚的な英国のジャーナリズムに学ぶべきことは多いように思う。
The civets are almost exclusively fed coffee berries, which they then excrete. This image was taken on a civet farm just outside Surabaya, Indonesia. Photograph: guardian.co.uk |
コピ・ルアックは、インドネシアのコーヒーで、ジャコウネコがコーヒーの実を食べ、糞の中から消化されないコーヒーのパーチメント(豆を取り巻く繊維質)を取り出し、それを脱穀、精製して生産されるコーヒー豆である。
映画「かもめ食堂」でも紹介されていた。
元々は野生のジャコウネコの“落し物”の中から拾い集めたコーヒー豆を指していた言葉で、だからこその希少性があった。
コーヒーノキという種は、こうやって消化されない種子を他の動物に食べてもらうことによって、ニッチを拡げていくことを選択した種である。いわば、ジャコウネコはコーヒーノキの生存範囲を拡げるための重要なパートナーであったのだ。
では、人はなぜわざわざ動物の糞の中から拾い集めたコーヒーを飲むようになったのだろう。
それはもちろん味がいいからで、その味の優位性は、当時はもっぱらジャコウネコが良いコーヒー豆の実をより分けて食べることにあった。
現在でも我々焙煎士はコーヒー豆を選り分けてから焙煎する。ジャコウネコは我々よりも優れた選別眼を持っていて、良質の豆だけを選り分けて食べるグルメなヤツなのだ。
このコーヒーはいつか「幻のコーヒー」などと呼ばれるようになり、好事家たちが高値で買うようになった。
こんな絶好の商材を利にさといコーヒー業界が見逃すはずがない。
農家は、豆屋に指導され、コピ・ルアックを人工的に作るシステムを構築する。
かくてジャコウネコは家畜化され、かつては自分で食べる豆を選べたのに、今では農家が与えるどんな豆も食べなくてはならない。
そんなことより誇り高きグルメなジャコウネコが、かつてはコーヒーの種子を運んで行くコーヒーノキのパートナーだったのが、今度は人間をパートナーとして、上の写真のような狭いケージ(というようり監獄に見える)に押し込められて生涯を過ごす気分はどんなものだろう。
もちろん、すべての農家がこのような虐待を行っている訳ではないのだろう。
ある日本人起業家がインドネシアに渡って作ったコピ・ルアック用の農園は、日本の鶏の平飼いのような環境で、清潔で快適そうな環境でジャコウネコを飼っていた。
だとしても、現在のコピ・ルアックというコーヒーには、フォアグラや熊の胆嚢のような人間の欲望が生み出した「不自然」の匂いを感じざるを得ない。
一生かかっても食べきれないような美食の情報がデジタルの海を行き交い、「食べてみたい」の一心で、買い求めたり、出かけたりする。
食品の提供者は、欲望を煽る新しい方法を常に考え、それをいかに安価に大量に生産するかに心を砕く。
その影で、犠牲になるものがいる。
誰かの願いは、誰かへの呪いとなる。
どこかの魔法少女が言っていたとおりだ。
それにしても、ことコーヒーのことを話題にする時、英国ジャーナリズムは視点の大きな批判精神を持つ。
ウルグアイ・ラウンドの時に、アフリカの農産物に関する輸出条件の改善交渉を数多くの分科会に分割して、代表団の少ないアフリカ勢が十分に会議に参加できない状況を作り出したり、アフリカ側の言い分を「君たちには世界とか経済というものがよくわかっていないのだ」という一言で片付けたりしていたことを暴いたのも英国BBCだった。
この時のドキュメンタリー・フィルムはNHKでも放送されたし、後に「美味しいコーヒーの真実」という映画にもなったのでご覧になったかたもいらっしゃるだろう。
アップリンク (2008-12-05)
売り上げランキング: 23,092
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また、「コーヒーの真実」という著書で、奴隷貿易や植民地政策が搾取の構造を作り、多国籍企業がそれを引き継いで、コーヒー豆の取引を媒介して世界の貧富格差を拡大している様子を活写したアントニー・ワイルドもイギリス人だった。
アントニー ワイルド
白揚社
売り上げランキング: 391,477
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この本を読めば、大元は、英国東インド会社のモカコーヒーの独占経営にあることがわかる。
自国の過去の過ちに自覚的な英国のジャーナリズムに学ぶべきことは多いように思う。
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