2014年10月15日水曜日

こむら返り

一昨日の深夜、強烈なこむら返りに襲われた。
二日目の今日になっても左のふくらはぎに強い痛みが残っている。

そういえば「こむら返り」って何なん?って思ってググったら原因は完全には特定されていないとあるものの、

運動中のこむら返りは、脳から出された信号が運動神経に伝達される過程で異常を起こし、筋肉が過剰に収縮してしまうことが原因ですが、睡眠中の場合も同様のメカニズムで発生します。(http://atakin.jp/e00koram/e04komura.html)

との記述もあり、脳の信号を体が<誤解>してしまう、という感じが、こむら返りに襲われた時のあの自分の意志に反して筋肉がどんどん収縮していってしまう焦燥感にピッタリくる。

島田荘司先生の新刊「幻肢」によれば、人間の脳から体に出される信号は非常に精妙なフィードバック・ループを成していて、動けという命令を受け取った筋肉が、実際に動いた部位の位置を脳に送り返しているんだそうだ。
そのおかげで非常に緻密な動作が可能になっているといういうのだから本当に人間は凄いもんだと思うが、そのフィードバック・ループの外で起こった筋肉の動きが制御されずに、物理的な体の構造を無視した偽りの指令を実行しようとするのが「こむら返り」というわけなんだろう。

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自分の体の誤動作に裏切られる、と考えると、それだけで怖い。

そう、それは恐怖だ。

押井守監督の「攻殻機動隊」という映画で、サイボーグ化された主人公が素手で戦車をこじ開けようとして、強化された筋肉にフルパワーを送り込み、結局体がその力に耐え切れず破断してしまうシーンを観た時に、「もうやめてくれ!」と叫びそうになった。
それは「思ったより、心と体は一体でない」という恐怖だった。

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人間は他者を殺すことが出来る。
それは自分を殺すことが出来るという意味でもある。
もし、心が自分を裏切ったら、自分自身を破壊する力を僕たちは持っている。

こむら返りはたぶん最も身近な自分への「裏切り」だ。
それでもこんなに怖い。
他人が自分の思うとおりに動かないことなど当たり前だと思えるくらいに。

2014年10月10日金曜日

「能」とコーヒー、あるいは「無私」の焙煎道について

世にメールマガジンは星の数ほどあるが、新潮社の雑誌「考える人」の編集長河野通和(みちかず)さんのものほど深く心に忍び込んでくるものはない。
すぐれた文学作品ほど、これは僕のために書かれたに違いないと思わせるものだが、河野さんの文章にもそういうところがある。


今日届いたメールマガジンには、あのミシマ社の創業者三島邦弘さんの新刊について書かれていた。出版社であるミシマ社の社長である三島さんの本が、朝日新 聞出版から出たという話を新潮社の編集者のメールマガジンで読むというシチュエーションにちょっと戸惑いながら読み始めた。


そこには「能」のシテとワキのことが書かれていた。

話し手であるシテから話を引き出したあと、舞台の隅で木偶のように座るワキは「何もしないことを全身全霊でしているのだ」という一節からは、一読ではわからないが、何かここには大切なことが書かれているという匂いがしていた。

三島氏は、能楽師からこの話を聞いて、編集者にこそ「全身全霊で何もしないこと」が重要なのだと悟ったと言う。
自分発信に走ればかえって主体は遠ざかる。自力で全てを動かしてやろう、そういう自意識ほど自然からはるか遠い行為はない、と。


すぐに思い出したのは、たった一日しか師事しなかったのに、その教えが隅々まで心に染み込んでいるコーヒー焙煎の師匠、中野弘志さんのことだ。

中野さんの焙煎教室は、マンツーマンで、一日中コーヒーを焼く。とにかく焼く。
焼いてる横でこう言われる。

浅煎りとか、深煎りとか考えてはいけない。 
その豆が焼かれたがっている深度はたったひとつしかないはずなんだ。その声に耳を傾けろ。豆の肌を見ろ。
教えてもらうんじゃない。君が感じるんだ。

中野さんが僕に教えようとしていたのは、このワキの精神に違いない。

コーヒーは嗜好品だ。
だからコーヒーの好みなど100人いれば100通りあっていい。
その100通りの好みを持つお客様に、焙煎士は何を信じてコーヒーを提供すればいいのか。
そこに「私」が入り込むということは、端的に言えば、好みに合わないお客様の嗜好を「コーヒーの分からない人」と切り捨ててしまうことになるのではないか。

コーヒーの焙煎から、全身全霊で「私」を取り除くこと。
それが、ワキの精神をコーヒー焙煎で実現するということなのだろう。

「無私」の焙煎道か。
自分が歩いてきた道の果てし無さにちょっと目眩がした。