動物の世界では不思議な事が起こる。
三十三羽のアヒルがいる湖の両岸で、一方では5秒に一回、もう一方では10秒に一回餌を投げ入れていると、一分もするとアヒルが分散を始め、結局両岸のアヒルの数は2:3になるのだという。
みなが餌を得る機会を均等にする「ナッシュ均衡」を集団として実現するというのだ。
計算をしているはずもないが、かんたんには計算出来ないどんな秒数に変えても、この三十三羽のアヒルたちは理論上のナッシュ均衡を苦もなく実現するのだそうだ。
みなが餌を得る機会を均等にする「ナッシュ均衡」を集団として実現するというのだ。
計算をしているはずもないが、かんたんには計算出来ないどんな秒数に変えても、この三十三羽のアヒルたちは理論上のナッシュ均衡を苦もなく実現するのだそうだ。
これはトム・ジーグフリードの「もっとも美しい数学、ゲーム理論」(文春文庫)
で紹介されているエピソード(p133)だ。
トム ジーグフリード
文藝春秋 (2010-09-03)
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よく考えてみれば、湖のアヒルたちの振る舞いのほうが自然なことなのかもしれない。
地球が出来てから今まで、どれほど激しい環境変化を経てきたかを考えれば、全体が生き残る戦略のほうが、その時点で優れていると考えられる少数が生き残る戦略よりも正しいのは自明なことと思う。
しかし、人間はそのようには生きられない。
この社会はそのようにはできていない。
アヒルがやっていることと、政府がいろんな人にいろんな方法で給付金を配ったり、誰かと誰かの税金に差をつけたりすることとは本質的に異なっている。
人間が高度だと思っている科学は、高度になっていくほどこのような自然さから遠ざかり、ついにはこの究極の自然状態を「計算」する方法を発見したジョン・ナッシュの業績にノーベル賞が与えられるほど遠い場所に追いやってしまった、ということではないのだろうか。
でもきっと、それでも僕らの本能のどこかに、みんなで生き残るほうが正しいという遺伝情報が残っていて、現実とのギャップに生きにくさを感じている。
もしかしたらこういう気持ちの拠り所としてこの世界に宗教というものが生まれたのではないか、などと特定の信仰を持たない僕などは考えたりするが、そうして生まれた宗教でさえ、新しい爭いの火種にしてしまうのが、これまた人間というものでもある。
だとすると、子どもが生まれると神道の作法に則って息災を祈り、教会で結婚式を挙げ、仏式の葬式を出し、ハロウィンには仮装して大騒ぎする僕らの国のありようも、それほど悪くないもののように思えてくる。
生きるための計算において、アヒルさんに大きく劣る僕らはせめて今夜、ケーキを均等に切り分けてメリークリスマスと言い合おう。
地球が出来てから今まで、どれほど激しい環境変化を経てきたかを考えれば、全体が生き残る戦略のほうが、その時点で優れていると考えられる少数が生き残る戦略よりも正しいのは自明なことと思う。
しかし、人間はそのようには生きられない。
この社会はそのようにはできていない。
アヒルがやっていることと、政府がいろんな人にいろんな方法で給付金を配ったり、誰かと誰かの税金に差をつけたりすることとは本質的に異なっている。
人間が高度だと思っている科学は、高度になっていくほどこのような自然さから遠ざかり、ついにはこの究極の自然状態を「計算」する方法を発見したジョン・ナッシュの業績にノーベル賞が与えられるほど遠い場所に追いやってしまった、ということではないのだろうか。
でもきっと、それでも僕らの本能のどこかに、みんなで生き残るほうが正しいという遺伝情報が残っていて、現実とのギャップに生きにくさを感じている。
もしかしたらこういう気持ちの拠り所としてこの世界に宗教というものが生まれたのではないか、などと特定の信仰を持たない僕などは考えたりするが、そうして生まれた宗教でさえ、新しい爭いの火種にしてしまうのが、これまた人間というものでもある。
だとすると、子どもが生まれると神道の作法に則って息災を祈り、教会で結婚式を挙げ、仏式の葬式を出し、ハロウィンには仮装して大騒ぎする僕らの国のありようも、それほど悪くないもののように思えてくる。
生きるための計算において、アヒルさんに大きく劣る僕らはせめて今夜、ケーキを均等に切り分けてメリークリスマスと言い合おう。
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