2013年8月1日木曜日

不景気ってなんだろう

どちらかというと、モノを捨てすぎて後悔するタイプだと思う。

今でも痛恨だと思っている断捨離は、せっせと買い溜めた映画やロックの「レーザーディスク」だ。
「セントエルモの火」や「スタンド・バイ・ミー」、「私をスキーに連れてって」など、テープと違って劣化しないから、何度も何度もお気に入りのシーンを観たせいで体の中に染み込んでいる映画たちがある。
スプリングスティーンや佐野元春のライブに興奮し、岡村靖幸の音楽は、まさに彼の肉体から生まれ出てくるのだなあと、彼のダンスシーンを見て確信したり。

確かにDVDやブルーレイで買い直せないコンテンツは滅多にないだろうし、画質、扱いやすさなど、どこをとってもDVDやブルーレイなどと較べていいところは無いのだが、あのモノとしても圧倒的な存在感や、愛情たっぷりに企画されたに違いないジャケットデザインなど、レーザーディスクというメディアは「所有するヨロコビ」に満ちている。


そこんとこは自分でもわかっていて、アナログレコードは今でもCDよりずっとよく聴いている。
LPは愛着を持ったままで、LDは捨ててしまったその理由はLDの再生機に愛着を持てるよい機械を選ばなかったことにある。

金がない若い頃に買った僕のレーザーディスクプレーヤーはパイオニアのCLD-110というCDとのコンパチ機で、安価で素晴らしい映像体験を与えてくれたことには感謝している。
だからこそ私は、レーザーディスクのハードとソフトを二束三文で売り払うのはなくて、あの時むしろ最後の投資として高級機を買うべきだったのだ。


そして世は直径12cmの光学ディスクにデジタル信号を刻んだパッケージが標準となり、ユーザーも面倒な手間なく手軽に映画や音楽を楽しめるようになった。
供給側は、まるで印刷をするような軽やかさで大量生産ができ、コンパクトになった分だけ流通費用もセーブできた。

コンピュータの機能が拡張していき、これらのデジタル信号を扱えるようになると、それらは容易にコピーされ、ネットワークの進展に合わせて著作権者の目を盗んで、何処にでも飛んでいくようになった。

今まで経済的な理由で、そうしたすぐれた芸術に触れる機会を持ちにくかった若者たちも、より多くの感動を得られるようになった。


しかしその現状を音楽や映画を「盗まれている」と解釈した人たちは、CCCD(Copy-Controlled Compact Disc)なる珍妙な規格まで作り出し、低音質の商品を流通させたし、映画でもARccOSのようなディスクの挙動が不安定になるコピーガードを搭載しては古いプレーヤとの間に不具合を起こしている。

CDやDVDの寿命も、当初喧伝されていたような長寿命ではなかったし、ソフト側に仕込まれた規格外の仕掛けのおかげでプレーヤーの寿命まで短くなった。

テレビの走査線の数は増えていき、その度に放送のクオリティが変わり、機器の買い替えを迫られる。

デジタル機器にはICチップが仕込まれ、事業者からのメッセージを否応なく受信する。
今までのように、「俺は受信料は払わねえよ」などと気取ってはいられない。

自宅で録画した番組はコピーする回数を決められ、一定以上の回数コピーすることはできないし、番組によってはコピーすると本体のデータが削除されるようになっているものもあると聞く。


何も便利さが悪いと言っているのではない。
が、CDにしてもDVD/Blu-rayにしても、あのような軽佻浮薄なパッケージが標準仕様である以上、そこに愛情を感じることは難しいのではないか。
どうせすぐに買い替える、と思って買うデジタル機器にもだ。

そういう扱いを受ける製品に愛情をこめて作るメーカーもないだろう。
若者が車を欲しがらない時代に、工場から出荷される、規格に添って生産された芸術作品を売ろうとして売れるような気は全然しない。残念ながら。


そうしてモノに縛られない風潮は加速していく。


結局のところ、我々が不景気と呼んでいるものの正体って、経済学者が難しい言葉で語るあれやこれやのロジックではなくて、我々自身の貧しくなった精神のことなんじゃないだろうか。

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