2013年9月7日土曜日

新しい生存戦略〜引退する宮崎駿氏に捧ぐ(感謝を込めて)

珈琲にはカフェインという興奮剤が入っていて、だから夜飲むと寝られなくなる。
人間だから夜寝られない程度で済むが、虫などが樹液を吸ったり実をがぶりとやると死に至る。

そんなモノを自分の体で精製している珈琲の木自体も無事ではすまない。
樹木としては異常に寿命が短く、伸長できる高さの限界も低い。

しかしそのカフェインを含んだ実は、体の大きな哺乳類には精神の興奮剤として機能するがゆえに、好んで食べられ、絶対に消化されない非水溶性の繊維に包まれた種子は、その実を食べた動物によって運ばれ徐々にニッチを拡げていく。

これは個々の寿命や成長を犠牲にして種族全体の維持、拡張を優先する生存戦略なのだ。


彼らの意図した生存戦略とは違う形で、人間はこれを栽培し、カフェインの恩恵を世界中で享受している。
珈琲がヨーロッパ全土に広がる前、彼の地では、教育を受けて世界の未来を拓くべき支配階級の人々が昼間からワインやビールなどを飲み、朦朧として日々を過ごしていた。
珈琲が広まると、論理的思考の時間帯は飛躍的に増え、この流れは民衆にも広まった。
19世紀以降の急速な人類の進歩にカフェインの果たした役割は大きい。


こうした流れを鑑みるに、市民社会に遍く文明を浸透させた功労者カフェインを珈琲から取り去ってデカフェなんかを作り出すに至った現代は、まさに文明の袋小路に入ったのだと思わざるを得ない。
弱い動物には毒だが、強い動物の精神を拡張するという夢の様な機能を以ってある種の植物の生存戦略を支えたこのカフェインが、毒として作用するようになったと考えれば、それは人類が生物学的にも弱体化していることのサインではないかと、僕はちょっとした恐怖感すら覚える。


宮崎駿氏は引退会見で自らのキャリアを総括し、「子どもたちに、この世は生きるに値するんだと伝えるのが仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた。それは今も変わっていません」と語った。
この世は間違いなく、生きるに値する素晴らしいものであふれている。

光と風。
物語と鏡合わせの真実。
挫折と愛。

しかし、この世は生きるに値すると、誰かが伝えてあげなければならないほど生きにくい、ということでもあるのだ。

マット・リドレーの「繁栄」を読めば、確かに人類は進歩の道の上にあり、現代はかつてない繁栄の時代であることはわかる。
しかし、集団的生活を送る生き物の多くは、勢力が弱い時は団結して外敵にあたるが、勢力が強くなれば、集団内での競争を激しくしてより優秀な遺伝子を残そうとするものだ。
これほどに密集して生きる現代の人間が、どんなステージにあるかは明らかだ。

強者と弱者、美と醜、賢と愚。
僕らの遺伝子はストレートな二分法を要求するのに、もはや袋小路に入った感さえある成熟した文明の中で育った僕らのココロは、それぞれが自分らしくありたい、という欲求を抑えることはできない。
この葛藤が我々の「生きにくさ」の正体ではないか。

だから誰かが「この世は生きるに値する」と教えてあげなくてはならないのだ。
今やこのメッセージが必要なのは子どもばかりではない。

歌で、
物語で、
教育で、
政策で、
そしてせいいっぱいの愛で、
新しい時代の「生存戦略」を描いていけるといいと思う。

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