2013年5月24日金曜日

車椅子入店拒否事件が他人事でない理由

乙武さんの「イタリアン、車椅子入店拒否事件」は、我々のような個人経営の小規模店舗にとって、まるきり他人事ではない。

人は我知らず、お店で受けたお気に入りのサーヴィスを他の店舗でも求めるものだ。
それは例えば「あら、〇〇はないのね」というような言葉で現れる。
おそらくそれは見たままの言葉で、悪意など欠片もないのだ。

それでも、文字通り人生をかけて自分のお店を切り回している人にとって、その言葉は生き方そのものを否定されるような鋭利なエッジを持っている。
そしてそのようなナイフは、想像されるよりずっと頻繁に飛んでくるものなのだ。

経営者は常にそうしたプレッシャーとストレスに晒され続けている。
ストレスへの耐性には臨界点のようなものがあり、だから、何気なく発されたお客様の言葉に、時に激しく反応してしまうことがある。

そしてボタンは決定的に掛け違えられた。

とは言え、これはボタンの掛け違いにすぎないがゆえに、時間が容易に解決してくれる。
冷静になれば店主も相手に悪意などなるでなかったことに気付くし、自分の使った言葉がその状況にまるで相応しくなかったことにも気付くものだ。

かくして事態は収拾され、この一件はすでに過去のことになりつつある。


しかし、僕は、この一件が乙武さんが「食べログ」で予約したことから始まっていることに、実は強い既視感を持っている。

カフェジリオもおかげさまで、食べログにたくさんのレビューが載っているが、最初にレビューを書いて下さった方が、たまたまレギュラーの商品ではない「ミルクレープ」を召し上がられて、それこそ勿体ないような絶賛レビューを書いて下さったのだった。

またこれが文章の上手な方で、自分でも食べてみたくなってしまったくらいで、それを見てミルクレープを指名して来店される方がちらほら現れた。
イレギュラー商品で、滅多に出ないものだし、だいたいカフェジリオのホームページに掲載していない商品なのにおかしいな、と思い、来店されたお客様にお聞きしてみてはじめて食べログに載っていることを知ったのだ。

それ以降も、食べログユーザーがミルクレープ情報に惹かれて、ご来店。そして後発のレビューを書く、という流れで、結果的に食べログだけ見ると、ミルクレープが一押しの、誰か他の人がやっているお店のように見えて、よそよそしささえ感じるくらいだ。


そういう僕にとっては、良くも悪くも食べログというのは、ごく一部の人たちの個人的な意見によって構成された情報源で、予約をする際の補助的な情報にはなっても、これで予約をしようという気には到底なれない。
ましてや僕のところには、過去に一ヶ月に一度は、「食べログにやらせのレビュー書いてあげますよ」という営業のメールが来ていた時期もあったくらいだし。

それに僕は昔から、気心の知れた自分のお店を作って、長く通い続けるのがカッコいいと思っていたし、だからこそ誰かと食事をするお店に、自分のよく知らない店を選ぶような習慣はなかった。

だから僕の作ったこの店は常連さんと一緒に長く細く運営していくように、細部まで事業設計されているのだ。
もちろんお店の使い方は、それぞれでいいと思う。でもそれだって自ずとお店のカタチの範囲内のブレで収まるものだ。

それが、食べログのようなメディアに載ることでブレが増幅され、少しはみ出して鋭いエッジを持ったナイフと化す。

食べログにはお店自身からは出てこない、お客さん目線の情報を知ることができる。
でもそこには、お客さんの視点しかないのだ。
我々が情熱の限りを尽くして設計した事業への思いは、そこには入り込む余地がない。
そしてやらせレビューの入り込む闇の源泉もそこにあったのだ。

コントロールのできない食べログというメディアが、僕は恐ろしい。
心底怖い。

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