2013年5月23日木曜日

牛乳を奥から買うことの意味

長くサラリーマンをやってきて、たいして下積みもせずにこのカフェを開いたので、最初は驚く事ばかりでした。

普通、「経営課題」といって最初にイメージするのは顧客の獲得だと思います。で、それは確かに事実そうなのですが、これを左右するのは商品力そのものであって、商品力の無さを他の何かでカバーしようとするというのは、まさに本末転倒。考えてもあんまり意味がありません。
むしろ、いつも大きな問題となるのは「ロス」でした。


家族経営を主是とするカフェジリオの経営では、生産力を向上させるという選択肢はありませんから、わざわざ人目につかないところで営業しています。
ですから顧客数は少ないのです。
しかしその日お客様が何を買いに来られるかはわかりませんし、消費者の心理として選択肢の少ない商品は売れない。
だからある程度の数を揃えて開店することになり、結果として一定の数のロスが発生します。

先日、コンビニの経営についての本で「弁当を一個廃棄すると、六個分の利益が飛ぶ」と読みましたが、まさにそのようなことが店をやっている限り必ず問題になります。
開店直後、提供していたサンドウィッチなどは評判の良い商品でしたが、普通にやっていると50%くらいがロスになってしまう。たまらずメニューから下げてずいぶんお叱りを戴きましたが、その分ケーキに集中できたので、その後いくつかのヒット商品にも恵まれ結果的には良かったと思っています。

ロスの問題がしばしば前面化するのは、焼き貯めておける焼き菓子の賞味期限との兼ね合いにおいてです。

私もこの店を始めるまでは、スーパーで牛乳を買うとき見える範囲で消費期限の異なるものがあれば新しい方の商品を奥から取り出して買っていました。
この行動様式は一般化していて、私たちのような店でもクッキーを並べておけば、たいていの人は奥から買って行きます。結果、棚に2種類の日付の商品が並べば古い方のものは、そのままロスになる公算が大きいということです。
私たちのような小さな店なら、並べ方を考えるだけで解決できる問題なのですが、様々なチャンネルで大量に販売される石屋製菓の「白い恋人」なんかでは回避しようがないでしょうから、一昨年問題になったような賞味期限の改竄なんていうことが起きるのも、あっちゃいけないことだけど、わからなくもない。
そう気付いて以来スーパーで牛乳を奥から買うのは止めましたが、日本全国で果たしてどれだけのロスが、この何気ない悪意なき消費者のごく自然な行動によって起きているのかを考えると、行政の無駄を云々しているのが莫迦莫迦しく思えてくるくらいです。

たかが、牛乳を奥から買う事が、事業者にどれだけ深刻な影響を与えるか、私はこの事業を自分で経営するまで体感する事ができませんでした。

経験という裏付けが無いとき、どうしても人間の判断は一面的になります。今目の前にあることだけでしか判断できないからです。物事は時間軸の中を流れているし、その流れの中で実に多くの事と関係を持ちながら変転して行く。これはおそらく経験(読書のような間接的な経験も含め)からしか得られない知見です。さらに人間の視界は、絶望的なほど狭い。

経験していないことには、思いもよらない見えない一面がある。
だから、報道や誰かの言論を引用して、一面的な批判を述べる事なんかでは、せいぜい自分を賢そうに見せることくらいしかできないし、ましてや世界を変える事などできはしない。
村上春樹は、良い小説を書くために必要なことは、と聞かれ、「結局のところ良く生きる、ということしかないのだと思います。」と彼らしい物言いで答えておられた。
「簡単に口にしない」ということを経営の教訓として肝に銘じて、せめて自身の日常の集積であるこのカフェの経営を誠心誠意「経験」しながら、「良く生きる人」の一員となれるよう精進していきます。

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