2014年2月17日月曜日

それぞれの道、それぞれの技

珈琲修行のスタートに選んだ珈琲サイフォン社の河野珈琲塾で、社長の河野さんが珈琲を淹れている姿を見た時、これが本物だ!と確信した。

オープンカウンターでマスターが珈琲を淹れているのは、よく目にする。
パリっとした白いシャツに黒いエプロン。
手慣れた様子でポットを操って、珈琲を落としていく。
実にスマートでかっこいい。

ところが河野さんの珈琲ドリップというのは、そういうものとは次元の違う気迫のようなものが体から放出されている。
なにしろ一滴ずつ湯を注いでいくのだ。
しかも正確に中心に落として、すべての円周部に同時に湯が到達するように落としていく。
あまりにも美しいその抽出のスタイルに目を奪われ、どうしてもこれをやってみたいと思った。

もう7年もこの仕事をしているが、未だに100%の成功率とはいかない。
難しいのだ。

それでも僕は、このまだ未熟な抽出スタイルをお客様に見てもらいながら珈琲を抽出する店舗デザインを選んだ。

写真はお友達のウッチーさんに撮っていただきました。
いつもありがとうございます。

ひたむきに珈琲に向き合うことを要求されるこの抽出スタイルが好きだ。
やはり珈琲には、どこか求道的なところがある。
高校まで剣道部に所属して、朝から晩までそれ一色だった頃を思い出す。

たいして強くはなれなかった。
強くなかったから、どうすれば勝てるか一生懸命考えた。

大声で気合いを叫べば、相手の精神を凌駕できるという考え方には、納得がいかなかった。
でもどうすればいいかはわからなくて、宮本武蔵の五輪書を誰かが解説している本を読んだ。

剣道の理想は一撃必殺だ。誰よりも早く打突を相手に叩き込めれば勝てる。
相手より後に動き始めて、先に打突が到達するように動ければ必ず勝てる。
先に動いた相手には必ず隙があるからだ。
これを「後の先」という。

しかし、普通そんなことはできない。
誰もが自分にできる精一杯の修練を積んでくるのだ。

そこで、人は「技」というものを考えるのだ。

なるほど、と思った。
誰もが、理想へ赴く道の途中にいる。
それこそが「道」と呼ばれる所以なのだ。

そして、その道を乗り越えていくための、人それぞれの「技」がある。
だから人生は面白い。

僕も僕の珈琲道を、技を磨きながら歩いていこうと思う。

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