2016年3月23日水曜日

粗挽きはやめておきなさい

開業前に一年かけてコーヒー修行をした。
市民講座やカルチャースクール、雑誌社主催のセミナーなどからはじめて、三つほど本格的な珈琲塾にも入塾して学んだ。

いろいろ学んだが、真理だなと思ったのは「そこに10人コーヒー屋がいれば、10通りのことを言う」という一言だ。
器具の優劣、湯の温度、焙煎機の方式やバルブの使い方など、多岐にわたって、本当にいろいろな意見と理由があるものだなと思った。
しかし、不思議と挽き目の細かさに関してだけは、どの先生も一貫して「中細挽き」を採用して、器具を変えても特に挽き目を変えることはなかった。

中細挽きとは、カリタの電動ミルでも、FUJIローヤルみるっこでもメモリを3.5にセットすればいい。
これを手動のミルでやろうとすると挽き目を毎回同じにするだけで大変だ。
電動ミルをお薦めする理由のひとつだ。



僕自身の約十年の経験で言うなら、挽き目を「中細挽き」に固定することには合理的なメリットがあると思う。
多くの同期生とコーヒーを学んで、同じ豆を同じように挽いて、同じ器具で淹れたコーヒーを嫌というほど飲み比べたが、本当に嫌になるくらい味が違う。
さらにその後先生の淹れたコーヒーを飲めば、これが本当に同じ飲み物なのかと思うくらいだ。
そして、ここまで同じ条件でコーヒーを淹れているのだから、違う箇所はドリップの手加減しかないはずなのだ。

だから、先生が淹れているのを凝視して、湯の細さ、タイミング、粉の状態変化などを研究した。
例えば、注滴の前にコーヒーの粉をなるべく平らに均しておくといったような「コツ」に類する部分はすぐに真似できる。
しかし、湯を注いだ後の粉の変化に対応して注湯部分を変えていくような「ワザ」はなかなか会得できない。
経験を積むしかないのだ。
そのような言語化さえも困難な「ワザ」が要求される局面では、なるべくその他の変数は無い方がいい。
おそらく粉の挽き目などは真っ先に固定しておくべきものだろう。
そして、手先が不器用で「劣等生」だった僕でも、中細挽きでならなんとかまともなコーヒーを淹れられるようになったのだ。
相当器用な人ならもしかして、粗挽きでも充分味を出せるのかもしれない。
しかし、そこに何の意味があるのだろう。
ドリップで美味しいコーヒーを淹れるには、少なくとも目玉焼きを美味しく焼く程度には「技術」が必要だと思う。その技術だけに集中するために変数は少ないほどいい。
「コツ」に類する部分は、科学的な根拠に沿ってなるべく固定するのがいいはずだ。
挽き目に関しては、中細挽きがいいと思う。
根拠に関しては、こちらの記事に一度まとめてある。
Cafe GIGLIO Blog:「粗挽き、ネルドリップ」ってうまいのか

YouTubeなどにもコーヒーを趣味とする人たちが自分の抽出を動画にして上げているのをよく見かけるようになった。
そこでは驚くほど多くの人がドリップなのに「粗挽き」でコーヒーを淹れている。
「今日は粗挽きにして、すこしゆっくり目に淹れてみます」などと解説しながら淹れているのだ。
もう開始20秒くらいで粉が白くなって露出オーバー(写真の「露出」ではなく、コーヒー豆の味が出きってカスカスになった状態を個人的にそう呼んでいます)になっている。
それはそうだろう。
湯に漬け込んで抽出する「浸漬法」(=プレスやサイフォン)を使う時、この方式では灰汁が入ったまま仕上がるので、それを抑えるために粗挽きにするのであって、ドリップの味を変えるために採用する方法ではないのである。

それでも確かにそうすれば味が変わるのは事実であり、それを楽しむ趣味の範疇でやっていることなので、とやかくは言うまい。
しかし一般の人は、オーディオマニアよろしく音楽ではなく、音の変化を楽しむような趣味は無く、美味しいコーヒーの淹れ方を知りたいだけなのではないだろうか。

そんな時、人は器具のトリセツを読むはずで、しかし実際トリセツは読まれないのが常だ。
そう思って、改めてKONO式ドリッパーのトリセツを読んでみたが、書かれた時代が古いのか、当のKONO式珈琲塾で教わったことと違うことが書いてあったりするのだから、これはもうどうしようもない。
ミルの方のトリセツも読んでみたが、どんな器具ならどの挽き目という解説も書いていなかった。
ネットでは、わりと多くのユーザーが、みるっこの挽き目を「6」にセットしていると書いてあったが、これはかなりの粗挽きになる。
味は充分に出せているのだろうか。
うーむ。

トリセツはあてにならないようなので、とりあえず一言だけ申し上げておく。
粗挽きはやめておきなさい。

2016年3月21日月曜日

カフェジリオ、9周年を迎えました。

2007年3月21日に、この宮の森の地にカフェジリオを開店して、今日で丸9年になりました。ご愛顧頂きましたお客様や、支えていただいた関連各社の皆様に心より感謝申し上げます。

たった二人で運営しているこの小さな事業は、グローバルになってしまった世界経済の影響に翻弄され、食材と利益の確保に四苦八苦する日々ではありました。
人気商品を支えてくれていたチーズが生産中止になり、フランス製のカシスピューレが農薬の問題で輸入禁止になり、独特の風味を持つ生クリームを生産していた工場が閉鎖になり、味と価格のバランスのとれた希少なコーヒー豆はコーヒーメジャーに買い占められて高騰しました。
その度に代替え品を探し、調理法を工夫し、それでも凌ぎきれなくなって携帯電話を解約したり、自家用車を手放したりはしたものの、なんとかここまでやって来れました。
おかげさまで、としか言いようがありません。

僕がコーヒーの修行をした珈琲サイフォン社は昨年で90周年だったそうですから、まだその十分の一かと思うとその先の道程には目眩がしそうですが、我々の最初のDecadeの締めくくりの一年を頑張って参ります。
引き続きのご愛顧をよろしくお願い致します。


2016年3月20日日曜日

サードウェーブとスペシャルティコーヒーの混同

昨日届いた夕刊を見て、間違って古新聞が配達されたのではないかと思った。
一面に、コーヒーに「第3の波」とあったからだ。


もちろん第3の波=サードウェーブは、今到来したものではない。
米国発のサードウェーブ・コーヒーの到来はブルーボトルコーヒーの日本上陸と定義していい。
最初にその意義も含め詳細にレポートされたのは2014年7月のWIREDだろう。

WIRED VOL.12 (GQ JAPAN.2014年7月号増刊)

コンデナスト・ジャパン (2014-06-10)

本ブログでも記事で取り上げている。
→「コーヒーエンジニアリングの時代と、アイスコーヒーの真理」
 
サードウェーブという言葉そのものは、もちろんアルビン・トフラーの主著「第三の波」からの引用で、これは農業(新石器)革命、産業革命に続く情報革命の到来を予見した大ベストセラーである。
米国のコーヒー界に起きた歴史的革命を、ボストン茶会事件(アメリカン・コーヒーの発祥)、スターバックスによる深煎りコーヒーの爆発的普及を経て、自家焙煎&ハンドドリップの高品質コーヒー時代の到来になぞらえているわけだが、実に上手にトフラー歴史観のニュアンスを掴まえていると思う。

折角の機会なので、少し詳しく解説しておく。

ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん、英: Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件で、アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである、とwikipadiaに書いてある。
当然のことながらこの事件の後、茶は民衆の飲み物としては入手しにくい状況になった。
代替え品として、「浅く焙煎して」茶に味を似せたコーヒーが飲まれるようになり、これがアメリカン・コーヒーの起源であり、 爆発的に消費量が増えたきっかけなのである。
このことがブラジルをはじめとする南米系の大産地を育てることになるのだから、まさに始原的革命なのだ。

しかしあくまでも茶の代替え品として焙煎されているわけだから、コーヒーとしての味は十全に引き出されてはいない。
ここに疑問を持ったのがアルフレッド・ピートという男で、子供時代住んでいたオランダで親しんだ深煎りコーヒーをアメリカでも楽しめるようにすべきだと考え、1960年代からコーヒー焙煎の仕事を始め、1966年に独立店舗としてピーツ・コーヒー&ティーをバークレーに開店した。ピーツの深煎りコーヒーは人々の心を囚え、70年代、店には長蛇の列ができるようになったが、その中にスターバックスを開業する三人がいた。

ピートに焙煎を手ほどきしてもらい開業したスターバックスは、80年代にジョインしたハワード・シュルツによってエスプレッソ中心のラインナップへの変更を提案されるも、これを拒否。あくまでも深煎り焙煎の豆売店という基本路線を貫いた。
しかし、シュルツは退社してイル・ジョルナーレを開業。エスプレッソのテイクアウトで大成功し、その資金でなんと古巣スターバックスを買収してしまう。
その後、茶の代替え品でしかなかった米国のコーヒーに本来の味を取り戻し、圧倒的に洗練されたオペレーションで展開された店舗はあっという間に全米を席巻し、その嵐は世界をも巻き込んだ。
産業革命の成立経緯を考え合わせると、そのアナロジーの見事さに感心する。まさにコーヒーの産業革命ではないか。

そして、ブルーボトルコーヒーの登場である。
サンフランシスコの小さなカフェでひたすら焙煎の実験を繰り返し、美味しい珈琲を追求していたジェームス・フリーマンの作る珈琲のモデルとなっているのは、「黒船」スターバックスの上陸以来淘汰され続けた日本の喫茶店の中から、焙煎と抽出の科学(経験ではなく)を背景に出てきた新世代のコーヒー技術者たちだ。
 ブルーボトルコーヒーが世界から注目されている理由は、ブライアン・ミーハンというマネージャーがアップルを始めとする テック系出身の大物投資家を口説いて出資させているというニュースバリューにもあるが、この「理詰めの」コーヒーは、そのようなシステムとも親和性が高い。
まさに、トフラーのいう情報革命という「現象」によく似た構造を持っている。

だから、北海道新聞が指摘する「現象」は、ジェームス・フリーマンが逆輸入した日本の科学的コーヒーによる「再評価」と言っていいだろう。



しかし新聞で解説されていたサードウェーブは、スペシャルティコーヒーの定義そのもので、このコンセプトは少し出自が異なるものなのである。

スペシャルティコーヒー(=Specialty Coffee)という言葉は、1978年にフランスのコーヒー国際会議で、米国のロースターによって提唱されたもので、産地の違い(土壌、気温、湿度、標高など)が、コーヒーの味の差である、という産地重視のコーヒー産業界の再構築を目的にしていて、ワインという偉大な先行産業を視野に入れた提言と思われる。
この後、世界各国でスペシャルティコーヒー協会が設立されオークション・システムなどが確立していった。
現代の高品質コーヒーはこの流れから出てきたものだから、サードウェーブと無関係とはいえないが、スペシャルティコーヒー=サードウェーブという考え方には少し無理があると思う。

コーヒーという作物は、世界を覆う「格差」という、コロニアリズムの負の遺産を象徴していて、ゆっくりとだが改善に向かいつつも、大資本によるコーヒー市場の独占という新しい問題にも晒されている。サードウェーブはこのような経済効率一辺倒の社会に一矢報いる新しい動きでもある。
この記事が「一杯千円でも人気」と結ばれては、コーヒー産業再構築の流れを担うサードウェーブも起こし損ではないか、と心配になってしまう。

2016年3月19日土曜日

ミルをFUJIローヤルのみるっこDXに変更しました

先日、開店以来使ってきたカリタのコーヒーミル「ナイスカットミル」が壊れた。
モーターが焼き付いたようだ。

まる9年も毎日、この店で提供するほぼすべてのコーヒーを挽いてきたのだ。
お疲れ様でした。

しかし間の悪いことに、ナイスカットミルは廃番になることが発表されたばかりで、市場は在庫薄。
また、次期商品を開発中とのことで、そちらを待ちたい気もする。
先日発表されたばかりのナイスカットミルNEXT-Gもめっちゃ気になる。

ナイスカットミル NEXT G グリーン
カリタ
売り上げランキング: 101,620

とりあえず、10年前にKONO式珈琲塾を卒業した記念に買った、KONO特別仕様の富士珈機製「みるっこDXーR220」を使うことにした。


KONOのコーポレートカラー(というより社長の趣味)のイエローボディに、横っ腹にはKONOのロゴが入っている。






河野社長がカスタマイズした特性の臼刃がついているのがウリだったが、今は標準で選べるようになったようだ。
おまけに、堀口珈琲工房や、日本カフェブームの立役者、鎌倉の「ヴィヴモン・ディモンシュ」が、同じオフホワイトの特注カラーなんかを出していて(現在は品切れ中みたい)、なんかそっちの方がカッコいいじゃないか。



ま、でもやっぱこのエンジのがスタンダードでいいみたい。




強力で、回転の安定したモーターが入っていて挽き目が揃う優秀機なのだが、ひとつ大きな欠点がある。それがこの粉受け。


樹脂製で、盛大に静電気を発生する。

容器内に粉がびっしり貼り付いて落ちてこない。
これでは、客数をこなすことができない。

このミルは業務用を視野に入れてはいるが、もともと一杯分ずつ挽くことを想定していないのである。
それはこのカタログ写真を見ればわかる。

買ってきた豆を一度に全部挽いてしまうように、蓋ごと取れる容量の大きな粉受けと、大量の豆を素早く挽ける高速で強力なモーターを備えているのである。
しかし、現代のコーヒー店でこのような挽き方は考えられない。
一回分ずつ挽くために、このようなステンレス製のカップを使っている人が多いと思う。




これは、DULTONという会社のステンレス製マグカップで、KONO式珈琲塾を卒業した後にお世話になった堀口珈琲工房の教室で使っているのを見かけて買った。
開店した2007年当時、多くの喫茶店でこれを使っているのを見かけた。
カリタのナイスカットミルに高さがぴったりなのだ。
あまりにみんな使っているからだろう、ナイスカットミルのシルバー版が出た時には同様のステンレスカップに仕様変更された。

ところが、みるっこDXにはちょっと高さが足りない。
しかも超強力なモーターの風圧で粉が飛んでしまう。

粉を受けるときは、このようにカップを持ち上げて迎えにいかなくてはならない。
で、やっぱり強力なモーターの恩恵と引き換えに、静電気はやはり発生してステンレスでも粉はくっつきます。

淹れる時は、カップをよく叩いて、振って、粉をふるい落としてからフィルターに移しましょう。

2016年3月17日木曜日

コーヒー豆ってひとり分何グラムですか、の誤解。

コーヒー豆を買いに来たお客様の質問で、意外と多いのは
「ひとり分って何グラムですか」
というものだ。

この質問の答えはシンプルで、
「それは器具によって違います」
というものだが、これでお客様の知りたいことにすべて答えたことにはならない。

この質問には、一般の人がコーヒーの抽出に対して知らずに抱えている誤解をいくつも内包していて、 その意味では、コーヒーの抽出の根幹に関わる重要な質問であるともいえる。

まず、前提として
「ではひとり分って何ccのことですか」
という質問を返さなくてはならない。
すると、それは使うカップによって違うでしょう?と思われるかもしれない。
まずここに誤解の第一歩がある。

器具の説明書で言うひとり分は「120cc」のことである。
説明書にそれは明示されていないが、どのメーカーのコーヒーサーバーも杯数のメモリは120ccをベースにしている。
しかし今どきそんな少量でコーヒーを飲む人は滅多にいないだろう。
だからもし、ひとり分は何グラムですよと答えたとすると、 かなりの方が、120cc分の粉で、200ccから220ccくらいのコーヒーを淹れてしまうことになるだろう。
一度ぜひ自分が普段何ccのカップでコーヒーを飲んでいるのかを調べてみるといいと思う。

さらに、豆売り店でレギュラーコーヒーを買う人の多くがペーパードリップを使っていると思うが、一般的なメリタ・カリタ・KONO・ハリオでは、「ひとり分」のコーヒーを淹れることが出来ない、という事実がある。
ひとり分、という言葉が生み出す誤解がここにもある。

ドリップ式は透過法に分類される抽出法だが、これは「重力」の作用で生じる、お湯が下に向かっていく力を利用して、コーヒー豆の中に焼成された可溶成分をこそげ落として抽出する方法なのである。
したがって、重要なのは湯が通り落ちていく「道の長さ」である。
当然それはフィルタの中に入れた粉の「容積」に比例する。
それがひとり分ではどうにも充分にならないのである。
だから、ペーパードリップを使う際には、必ず「ふたり分から」で淹れて欲しい。
これも器具の説明書に書かれていないポイントである。

また、道の長さは容積に比例する、とは言ったが、舟型のメリタ・カリタと円すいのKONO・ハリオではその比例の具合が違う。
また、メリタは最下部に「溜まり」があり、浸漬法の要素を残している。
そのような事情で、メリタは「ひとり分」8gで、カリタは10g、KONO・ハリオは12gと必要量が異なっているのだ。
くれぐれも器具についてきたスクープ(計量スプーンのこと)を使って欲しい所以である。


ただしドリップの場合は、経験上、量が少ない場合には物足りないコーヒーが出来るが、量が多い分には不都合がないようだ。
あんまり粉が多くなれば器具からあふれてしまいいい抽出が出来ないだろうから、加減は必要だが「少し多めに」粉を使うというのは有効なコツだと思う。

反面、浸漬法はこのコツを適用できない。
浸漬法とは、フレンチプレスとサイフォンのことで、トルココーヒーもこれにあたるが、家でトルココーヒーを淹れる人はいないだろう。


これらの器具では正確に分量を守る必要がある。
時間的にも4分ほど漬け込んでおくフレンチプレスや、短時間だが百度の湯で粉を煮立てるサイフォンでは、粉の分量が味に影響しやすいのである。

2016年3月10日木曜日

コーヒーの作法

1962年11月から1963年5月まで、読売新聞に連載された「可否道(かひどう)」という小説がある。後に「コーヒーと恋愛」と改題されたこの小説には、茶道に倣い「コーヒー道」を確立しようと目論むオジサンが出てくる。

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)
獅子 文六
筑摩書房
売り上げランキング: 109,877

コーヒーの歴史は思うほどには長くないが、それでも世界各国でいろいろな作法を生み出してきた。

例えばコーヒーを来客にお出しする時、取っ手はどちらに向けているだろうか。

会社で接客を学んだ人は、取っ手をお客様から見て左側に向けるように教わったはずだ。
しかしこれは普通に考えれば合理的とはいえない。
何故わざわざ右が利き手人が多いのに、逆側の左に置いて、カップを廻させるのか。

それはコーヒーに砂糖やミルクを入れなくても、スプーンでかき混ぜて温度を下げる、という作法が存在していたからなのである。
音を立てて飲まない、ということが何より大事だったのだ。
まず、右手でスプーンを持ち、左手で取っ手を支えてコーヒーをかき混ぜる。そして、カップを廻して飲む、という手順である。

古く、カップに取っ手がついていなかった時代がある。
そんな時代でもコーヒーや紅茶の温度を下げるというのは作法上の大きなテーマだったようで、 深めの別皿に飲み物を移して飲んでいたそうだ。
それが現在でもコーヒーカップに付いている受け皿(ソーサー)である。


この絵のように、コーヒーや紅茶を飲んでいたんだそうだ。

現代、温度を下げるためにコーヒーをかき混ぜる人はいないだろう。
ましてや、受け皿に飲み物をあけて飲む人がいたら奇異の目で見られるに違いない。
しかし取っ手は利き腕の反対側に置かれ、ソーサーも無くならない。
作法とはそういうものなのだろう。

2016年3月9日水曜日

コーヒーハウスの受難

現在のカフェ文化の大元にあるのは、カフェという言葉がフランス語であることからわかるように、フランスの文化人のたまり場としての「カフェ」であった。

しかし、もし17世紀の英国に「コーヒーハウス」が生まれていなければ、コーヒーを飲ませる場所が街なかの社交場として機能することはなかったかもしれない。
それまで欧州における街の社交場の主役はなんといってもパブやビアホールといったアルコールを提供する場で、人々は昼間っから酔っ払って居酒屋政談などに花を咲かせていたのである。

コーヒー文化はイスラム文化圏からもたらされた。
コーヒーハウスもトルコからの輸入である。
そのせいばかりとは言えないだろうが、近世(early modern period)においては、キリスト教圏よりもイスラム教圏のほうが洗練度の高い文化的生活を送っていたと、島田裕巳氏の「教養としての宗教事件史」にも書かれていた。

教養としての宗教事件史 (河出文庫)
島田 裕巳
河出書房新社
売り上げランキング: 209,597

酔を伴わない社交場を得たことで、欧州は理性的な議論の日々を持ち、コーヒーハウスの人気は高まった。

おさまらないのは顧客を奪われたパブやビアホールの経営者である。
彼らの怒りの矛先はなぜか「コーヒー」に向かい、1663年に「一杯のコーヒー、あるいはコーヒーの本質」という非難声明が出される。

「忌まわしき飲み物」「煤のシロップ、古靴の煮汁」「キリスト教徒をトルコ人に変える」などという文言が並び、キリスト教徒ならワインを飲めと結んでいる。
事実、1600年頃にクレメンス8世がコーヒーに洗礼を与えて、コーヒーの存在をキリスト教世界に迎え入れるまで、「キリスト教徒の聖なる飲み物であるワインをイスラム教徒は飲めないため、悪魔からコーヒーを与えられる罰を受けている」として、「悪魔の飲み物」にあたるコーヒーの飲用は教会で禁じられていたのである。
アルコールの販売で身を立てる者たちがコーヒーに抗議するため宗教の威光を借りたという格好だ。

そういう意味では当時、コーヒーとワインは、対立する二大一神教の名代だったとも言える。
現代においてこのふたつの飲料が、ともにポリフェノールの効用でさまざまに健康に寄与していることは、皮肉なことにも思えてくる。

そのような心理的背景から、後にフランスにもコーヒーが持ち込まれた時、その毒性を中和しようとコーヒーに牛乳を加える飲み方が流行した。これがカフェ・オ・レの始まりである。
現代では純粋にコーヒーとミルクのハーモニーを楽しむために飲まれている方が多いと思うが、なんとなく体に優しいのではないかという感覚があるのは事実だろう。
長い時間をかけて作られてきた観念というものはなかなか変えられないものだ。


コーヒーに抗議をしたのはアルコール販売者だけではない。
同じ頃、「コーヒーを難じる女性からの請願」なるものが世に出ている。
副題に「萎えさせ衰弱させる飲み物の飲み過ぎによりて、性生活に生じたる大いなる不如意を世間に問う」とあって、まあこの副題を読んだだけでだいたい内容はわかる。
カフェインと性生活との間に医学的な関連性は見いだせないから、コーヒーハウスに入り浸りで家に寄り付かない旦那さんを非難するための言いがかりというところだろうか。

ところが、あろうことか国王チャールズ二世がこれを真に受けて、コーヒーハウス封鎖令を布告したものだから国内は大騒ぎ。
結局、3000軒にもなっていたコーヒーハウスを封鎖すると税収に大打撃があるとわかって、これを10日間で撤回してしまった。
この歴史的失政のあと、コーヒーハウスへの非難は下火になっていく。


ところで、このコーヒーハウスが生み出した習慣がある。
それが飲食店やホテル、タクシーなどの接客者に渡される「チップ」という習慣で、これは当時コーヒーの値段が1ペニーと非常に安価で、店員の給料が出ないことから「確実に素早いサービスの対価(To Insure Promptness)」と書かれた箱が置かれ、客がそこに投げ銭を入れるというシステムが出来た。
この頭文字をとってTIP=チップと言うのだそうだ。

日本ではこのチップという習慣はないが、世界中どこでもコーヒーを飲ませる場所というのは安価で長時間いられるようになっている。
社交場が男性たちを家に寄りつかせないほどの魅力を放っていた時代にはそれで成立したビジネスも、娯楽に満ちた現代ではなかなかに厳しい。
「黒船」スターバックスの到来で、より洗練された「場」を安価で提供されるようになると、旧来型の喫茶店は「味」の追求という方向転換を迫られた。
これこそが現代のコーヒーハウスの受難。

しかしこの日本型の新しい喫茶店像は、まわりまわってアメリカのサードウェーブを生み出すモデルとなったのだから、なにごとも受難こそが成長の源泉ということなのだろう。


2016年3月8日火曜日

コーヒーの「名前」についての雑談

コーヒーのわかりにくさ、というのは飲料の素材となる「豆」の名称にも表れている。

「モカ」は、大英帝国が、東インド会社を置いたイエメンのモカ港からイエメン産(マタリなど)とエチオピア産(ハラーなど)の豆を輸出していたことからその名がついた。
現在、すでにモカ港自体がなく、農園単位でコーヒー豆が取引される実情に合わないため 「モカ」の名で商品が売られることはなくなり、その後列強が世界中に拓いた植民地で作られるコーヒー豆の多くは、「国名」+「地域名または農園名」で呼ばれるようになった。

ちなみにカフェジリオでは、モカに相当する豆は、エチオピア・イルガチェフェというのを扱っている。これはイルガチェフェ村の産という意味だ。

しかし困ったことに、飲料としてのコーヒーの味を決定づける「焙煎度」にも国がらみの言い方が存在する。
フレンチやジャーマン、イタリアンといった具合で、フレンチとジャーマンは同じ焙煎度でフルシティ・ローストの少し上、イタリアンローストはエスプレッソ用でさらに深い。

9年前にこの店を開いたとき、もうスペシャルティ・コーヒーもずいぶん浸透した頃だと思っていたが、実際にはそれほどではなく、よくお客さまに「あら、エチオピアやタンザニアはあるのにジャーマンはないのね。狸小路の○○という店のジャーマンが好きなのに」などと言われたものだ。

さらに地域(部族)名がそのまま通称になっているマンデリン(インドネシア・スマトラ島)やブルーマウンテン(ジャマイカ) のようなものもあって全部が全部国の名前で売られているわけでもなく、とは言え、戦後すぐにコーヒーの世界に入ったレジェンドっぽい人なんかは、マンデリンなんて言い方は駄目でスマトラ・アラビカが正しいと言い募ったりするが、それも一般的とは言えない。

最近では、パナマのオークションでエスメラルダ農園のゲイシャ種が史上最高値を付けて話題になり、原種に近い古い栽培種の「ゲイシャ」の名がついたコーヒー豆が市場を席巻したこともあった。

さらにさらに、ジャコウネコがコーヒーの実を食べた糞の中から未消化の種を取り出して焙煎する「コピ・ルアック」(コピ=コーヒー、ルアック=ジャコウネコ)というのまである。



もうひとつ困るのは、所謂「アメリカン・コーヒー」というやつで、はじめて当店においでになるお客様で、メニューを見ずに「あ、アメリカンね」という方は今でも一定数いらっしゃる。
この場合のアメリカンは「薄いコーヒー」の意味だろうが、由来から言えば、アメリカンというのは焙煎度の浅いコーヒーなわけで、やっかいなことにダイエットなどに効果があるというホントかウソかわからんような話を真に受けて浅煎りコーヒーを探している人なんかもいるもんだから、困ってしまう。
ま、可溶成分が充分析出されない浅煎りコーヒーを、うちは置いていないので、確認せずに薄めたコーヒーを出すわけだが。

そこそこコーヒーに詳しい人だと、そういうことを知っていてアメリカン・コーヒーが日本にしかないという皮肉を話題にしたりするが、実はイタリアのバールなんかで「カフェ・アメリカーノ」とオーダーすると、エスプレッソにお湯の入ったポットがついてきたりする。
アメリカ製が「薄い」と思っているのはわりと世界の共通認識なのかもしれない。