今朝の「各自核論」には、ITプロデュース集団「リナックスカフェ」を経営する平川克美さんが不定期に連載している「路地裏の資本主義」の第8回が掲載されていた。
「経済成長の病」という著書を持つ平川さんの論説はいつも地に足がついていて、読む者の心に不要な波風を立てない。その平川さんの喫茶店観に深く頷きながら読む。
平川さんは言う。
喫茶店は、どんな経済性もどんな生産性も期待できない場所である。それでもそこはわたしにとっては町の大学だった。
僕の経営するカフェジリオでのお客様の平均的な滞在時間は二時間くらいだと思う。
店舗には、雑誌はあまり置かず、詩集や絵本、酵母や発酵食の本、文化や色彩に関する書籍などを置いているが、これらの本に読み耽る人たちがいる。
ある人は持ち込んだ楽譜に熱心に何ごとか書き込んでいる。
町内会の会合や、PTA行事の下打ち合わせをしている人たちもいる。
かかるのはコーヒー代とケーキ代だけ。
どんなにたくさん本を読んでも、長時間の議論をしてもそれは変わらない。
生産性はともかく、<経済性>とは確かに無縁だ。
そして僕の知っている<大学>という場所によく似ている。
この店を設計していた頃、ダイヤ冷ケースという冷蔵ショーケースの会社の社長さんとお会いした。店の図面を見て、顔をしかめた彼は「こんな席数では収益性が悪すぎます。それにこのカウンター。カウンターは時代遅れですよ。そこに座ったお客さんがお店の生産性を削るのです」と言った。
そういう時代なんだとは思う。
平川さんも、町の喫茶店が消えていく理由に、現代人のライフスタイルの変化を挙げて、こう言っている。
喫茶店での無為の時間とは、本を読んだり、書き物をしたり、議論を戦わせる時間であり、文化が育まれる場所でもあった。<中略>ひとびとは駅前で朝のコーヒーを飲んで仕事に向かい、バリバリと稼ぎを増やすことに熱中し始めた。気がつけば日本は、世界で最も流動性の高い経済国家になっていたわけである。
喫茶店自身の側もこの生産性至上主義に乗っかって、文化の担い手であることを放棄して、建物を壊して駐車場にしたりしたんだろう。
喫茶店がなくなっていくのも仕方のない成り行きだ。
僕が大学に通っていた1985年から88年の間、もちろん携帯電話はなかったけど、友だちを探すのに困ることはなかった。ある人はサークルのたまり場になっていた大学生協のロビーで、ある人は大学近くの喫茶店で、またはバイト先を覗けばだいたい会うことができた。
居場所があるってそういうことだと思う。
今や大学生も忙しい時代になった。
資格を取ったり、英語の検定を受けたり、長期間にわたる就職活動にも従事しなくてはならない。
本を読んだりコーヒーを飲んだりする時間がなくても仕方がないのかもしれない。
以前勤めていた会社で、今も頑張っている仲間たちも本当に忙しそうにしている。
あちこちの拠点を回って何年も単身赴任している友だちもいる。
出張で北海道に来ても今どきは日帰りなんだそうだ。
それでもみんな近くにくれば立ち寄ってくれる。
これがお前の作ったコーヒーか、と言って目を細めて飲んでくれるのを見ていると、本当にこの店を開いてよかったと思う。
流動の日々の中に、昔日を固定できる余白。
それが喫茶店という<場>の役割だと思う。
<無為>の意味を体現できる数少ない場所を、社会が失ってしまわないように頑張っていきたい。
それにまだこの店をやめるわけにはいかないのだ。
高校時代、文化祭の浮かれた空気の中、僕が持ち込んだグレコのエレキギターを使ってクロスロードを弾いてくれた男がいた。
山田という男だ。
ベースが本職の山田が弾いたクロスロードは本当にカッコ良かった。
彼とは大学でも同じ軽音楽系のサークルに所属していた。
ずっと友だちなんだと思っていたのに、就職で東京と北海道に離れて、転居を繰り返すうちにお互い連絡がとれなくなってしまった。
先日クラス会があったが、担任の先生も山田の行方はわからない、と教えてくれた。
サークルの友人に会うと、山田の消息を尋ねるが、誰も彼の行方をしらなかった。
この店を開いたことで、ずいぶん多くの音信不通の友人たちとも再会を果たすことができた。
だからいつか、あのドアからふらりと山田が入ってきて、よう、久しぶり、と言う日が来るのを僕は確信している。
その日のためにコーヒーの腕を精一杯磨いておこうと思う。
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