全国の小学六年生と中学三年生を対象に行われている「全国学力テスト」に、13年度は保護者と教育委員会を対象にした追加調査を行っている。
その結果がまとまったと新聞に出ていた。
見出しには、「親の収入・学歴、成績と関係」と打たれていた。
「小6国語A」では、(保護者の)収入・学歴が最も低いグループで、平日の学習時間が「3時間以上」という子どもの正答率が59%で、最も高いグループで、「全くしない」と答えた子どもの正答率の方が61%と上回る結果も出ている。
教育問題に関心の深い方なら同種の調査結果を何度もご覧になっているだろう。
ここまでは想定通りということだ。
今回の調査は、その家庭環境と成績の因果関係を「生徒の生活習慣」に起因するのではないかと仮定して設計されているようだ。
(保護者の)収入・学歴が最も低いグループでも、毎日の朝食や起床・就寝時間、テレビを見る時間に注意を払う家庭の子どもは、成績の上位1/4に入った、としている。
調査研究を担当したお茶の水女子大の耳塚副学長は、
「学力格差の源は雇用問題などにあるが、生活規律の指導など教育現場でも何らかの施策が必要だ」
と総括した。
この国の“識者”は本当に現場を識らない。
生活規律の指導を学校でやっていないとでも思っているのだろうか。今回の調査はむしろそんなことが無意味だったと証明しているようにさえ思える。
地下鉄に乗るとき、いつも「ご乗車になりましたら入口付近に立ち止まらず、奥まで順にお繰り合わせ下さい」というアナウンスが聞こえる。
でもその声に従う人はほとんどいない。
母親も先生も。
正論であるというだけでは、人の心には届かない。
夜遅くまでの塾通い。
帰ってきたら、早く寝ろ。早く起きてメシを食え、という生活から学ぶ意欲なんて生まれるだろうか。
高学歴グループの家庭で勉強しなくても国語の点が高いのは、家庭で、例えば朝のニュースや新聞の情報を素材に、血の通った言葉が交わされるのを聞いているからではないのか。
教科書の言葉と社会を結びつける術を学んだ子どもは、学ぶことの面白さを識る。
この調査の数字に意味を見出すとすればそういうことなのではないか。
それなのにきっと、初等・中等教育のプログラムに発達心理の有り様にそぐわない道徳教育や、生活チェック的な家庭訪問が追加されたりして、ますます教員の時間を奪うかもしれない。
そして授業は血の通わないプログラムの“読み上げ”になり、学ぶ意欲は再び失われる。
子どもたちに必要なのは、どこまでいっても「知りたい」と思う心だ。
そこからすべてが始まる。
「教え方」そのものの問題から目を背けるべきでないと思う。
しかし耳塚先生もいいことをおっしゃっている。
「学力格差の源は雇用問題などにある」と。
ではなぜその根源の問題に解決のリソースを集中しないのか。
皆が忌み嫌う偏差値や、文章を書かせない知識型の試験は、人間を階級から解き放つ装置でもあった。
どんなに貧乏でどんなに無階級の人間でも、点数さえ取れば、官僚にもなれるし博士にも大臣にもなれるというのが<学歴社会>のひとつの側面ではあったのだ。
異論はあるだろうが、日本の高度成長が達成された理由として、日本の企業や官僚機構に、<学歴社会>の普遍化によって階級に関係なく人材が登用されたことは無関係でないと思う。
異質を飲み込む強靭な組織力が価値のある仕事を生むことは、僕のありふれた社会人経験からもなんとなく想像がつく。
日本の“総力”が結集されたことは、<学歴社会>の達成のひとつであったと言えるだろう。
このように雇用の問題と教育の問題は根深いところで繋がっている。
そして時代は変わった。
雇用の形態も、教育に求められるものも変わっているのかもしれない。
だからこそ、せっかくの調査を、教育の世界だけで議論して「早寝早起き」のせいなんかにせずに、労働問題の識者とも充分議論をして、<社会>の明日を考える契機にしていただきたいと思う。
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