2014年3月24日月曜日

書評:昭和史裁判

半藤一利さんと加藤陽子先生による歴史討論「昭和史裁判」をこれからお読みになられる方がいらっしゃったら、ぜひ「あとがき」から読んでいただきたい。

昭和史裁判 (文春文庫)
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半藤 一利 加藤 陽子
文藝春秋 (2014-02-07)
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この「あとがき」にある加藤先生の告白には胸を打たれる。
加藤先生といえば、「それでも日本人は戦争を選んだ」で小林秀雄賞を獲られた気鋭の研究者である。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤 陽子
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その加藤先生が、文春新書「あの戦争になぜ負けたのか」のために開かれた、半藤一利、中西輝政、福田和也、保阪正康、戸髙一成の五氏との座談会に臨んで、自分の発言の精彩のなさ、史料的裏付けの不十分さに恥じた、と書いていらっしゃるのだ。

「いつも学生に歴史学は床屋政談とは違うのです、と言っていた自分が情けなかった」という言葉ににじむ真摯な悔しさが、学者魂を感じさせる。


あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)
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その捲土重来への想いが、この半藤一利氏との長時間の対談企画を呼び寄せたのだろう。


さてその加藤先生の覚悟を胸に本編を読み始めれば、歴史探偵を名乗る半藤一利氏のいつもの名調子にまったく見劣りしない、加藤先生の立板に水の、知識、知見の奔流に押し流されそうになる。

論が「太い」のだ。
多くの史料に裏打ちされているだけでなく、人間性というものへの冷静な目配りを忘れない透徹な視点が、実在性のある歴史として像を結んでいる。

ひとつの国が戦争に進んでいく中で、多くの人の思惑や、誤解やすれ違いがあった。
意図的に隠された情報も。
悪意に発したものも、そうでないものもあった。

それが引き起こした長く悲惨な戦争のことを思えば、失策に結びついた判断には辛い点を付けたくなる。
そこに人の気持を慮り、「情状酌量」を見出していく、さながら腕利きの弁護士のような鮮やかな加藤先生の手並みが本書の読みどころである。


「正しい歴史」などというものは無い。
歴史<的>な事実というものがあるとして、その事実も「観察者」の言葉によって語られた時に、初めて「歴史」となる。

とすれば、例えばここで加藤先生と半藤氏がひとつの歴史的事実に対して、異なる視点から解釈を加えている総体としての「議論」も、それそのものが「二人の観察者」によって語られた「ひとつの」歴史であるといえるだろう。
本編を読んでいただければわかるが、二人は議論のさなか、逡巡することを躊躇わない。
そんなに簡単に「人間」のことはわからないよ、と言われているように感じた。

だからこそ、すでに終わっていることを研究しているはずの「歴史学」にも終わりはなく、それは永遠に学び続けられる。
そこに「何のために?」という問いは不要だ。
それは何のために生きているのかを問うのと同じくらい不毛な問いだと思う。
生まれてきたから生きているんだ。
心があるから学んでいるんだよ。


僕はふと、加藤先生と教室を共にできる東大大学院の学生の皆さんがとてもうらやましくなった。
学び続けている者から学べる、というのはどんな気分だろうか。

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