2015年10月16日金曜日

エイベックスがJASRACから離脱するんだそうで

エイベックスがJASRACから離脱するんだそうだ。

JASRACさんには、開店以来、毎年7,000円弱の著作物使用料を払っている。
BGMとして使用した各楽曲の分をお支払いするのではなく、事業所面積に応じた包括的な契約になっている。
その方法や、そもそもの料金が適切かどうか、というのはわからない。
しかし、それぞれの楽曲に対して使用料を払おうとすれば、その日流したBGMの楽曲リストを作成して提出する、ということになるだろう。
下手をすれば、本業の分の税務申告以上に煩雑な手続きになる。
だから、事務手続き上は極めて現実的な集金方法だと思う。
違和感を感じるのは、それが税金でもないのに、店舗を運営してBGMをかけると自動的に支払い義務が生じるという強制性のほうだ。
よく似たものにNHKの受信料がある。

よく知られているように、NHKの受信料には「放送法」という根拠法があり、JASRACの著作物使用料には「著作権法」という根拠法がある。
それぞれの根拠法を行使する団体がひとつしか無い時、それは多少の心理的抵抗を伴いながらもある程度成立する。
しかしこれが二つになるとどうなってしまうのだろう。
エイベックスはまた別の方法で、我々から著作物使用料を徴収するということになるのだろうか。
この二重課税的な徴収にはさすがに簡単には従いたくない気分になる。


確かにファンキー末吉さんなんかの話を聞けは、JASRACのアーティストさん側への再分配の方法については問題がありそうだ。
主にそちら方面の事情での離脱だと思われるし、司法の判断も注視していきたいが、零細事業を営む身としては使用料徴収の方法論が気になる。
政治家が机の上で計算した2%で生きも死にもする身だ。
これ以上振り回さないで欲しい。

2015年9月11日金曜日

軽減税率に殺される

軽減税率のニュースを新聞で読むたびに頭を抱えている。
食品を商材として扱う極小店舗を営む者として、レジにマイナンバーカードを読み取る装置をつけて・・と簡単に書かれているところにまずクラクラしてしまう。

ネットワーク機能をもたせたレジを導入するのに、いったい、いくらぐらいかかるものなのだろう。
開業のとき調べたが、POSデータを扱えるレジが、最も安価なものでもリースで月2万円くらいだったと記憶している。
 
お客様のために美味しい菓子やコーヒーを作るためなら、車のない生活も、携帯電話のない生活もちっとも苦ではないが、政府の政策を実現するためにレジなんかに出費させられるのは御免こうむりたい。
商品の価値、つまり味や安全性に関係ない出費を上乗せされた対価を、これ以上要求されるのは、お客様も嫌だろう。
 
せっかく軽減した消費税分など、この仕組のための設備投資でどこかに飛んでいってしまう。
消費税増税で財布の紐が堅くなっている市況で売り上げも減っていくだろう。
そんな中で我々の生活費をさらに2万円削れと言うのなら、残念ながら折角手にした夢の実現だったが、店舗の継続をあきらめざるを得ないだろう。

消費税が8%に上がった時、新潟の「河治屋」という歴史のあるスーパーが、レジ買い替えの資金を調達出来ずに倒産した。
政策は、これを教訓とせず、さらに前へ進もうとしている。

>財務省は、今回の事業の発足に先立って『買い物記録を集約するデータセンターの新設などインフラ(社会基盤)整備に約3000億円を投じる』ことを想定している

とある。
 
一人あたま4000円の税金還付のために3000億円のインフラ整備を差配するお役人様には、月2万円のやりくりに苦しむ商店主の気持ちはわからないだろうし、大きな企業に対しての効果で、全体としての効果が担保されれば、事業としては成功と判断されるのだろう。
蔑ろにされるものの痛みに鈍感な社会に僕らは生きている。
負けたくはないが、どうやって勝てばいいのかも今はわからない。
ただ頭を抱えるだけだ。

2015年9月7日月曜日

64年のシンボルマークに込められた本当の意味

前職で、幹英生(みきえいせい)さんという画家で、グラフィックデザインも手がけられた方と3年ほどお仕事をさせてもらった。
請け負ったのは、毎年数百ページに及ぶパンフレットを作るという仕事だった。
大詰めになるとクライアント先や印刷所(印刷に回す直前まで修正を重ねるため)にまで泊まりこんだりした。
ハードな仕事だった。

仕事が終わると幹先生が新橋の裏通りにある隠れ家的なお店に連れて行ってくれて、オリンピック周辺のデザイン事情の激動についてよく話してくださった。

僕がいたのはリクルートという会社で、64年オリンピックのシンボルマーク(と当時は言っていました)を作った亀倉雄策先生は当時まだご存命で、リクルートの例のかもめのマークをデザインしてくださったご縁で、リクルート事件で揺れる会社を助けるためにもと仰って、役員をお引き受けくださっていた。


亀倉先生や早川良雄さん(こちらも昭和を代表するグラフィックデザイナーです)と親しかった幹先生はあのシンボルマークの裏話をよく知っておられて、それは本当に面白く、現代の日本に大きな影響を与えたイベントだったのだなあと強く印象に残っている。




まずあれは日の丸じゃない、というところに驚く。赤い太陽なんだと言うんですね。
つまり国旗を置いたんじゃなくて、国旗を定めた時のスピリットを置いているんだと。
すげえ話だと思いました。マジで。

で、そう言い張ってるだけじゃなくて、デザインでそれを主張しているんだと。
それが赤い太陽と金色の五輪の間の限界まで絞った「隙間」なんだと。
あそこにあれ以上余白があると国旗になってしまう。
これがデザインというものかと心底感動しました。

当時のデザイン業界は、今ほどは大きくなく、今の感覚で見れば身内で審査しているみたいな感覚ですが、こういうデザインマインドが生み出す感動みたいなものを共有してるんですね。
そこには何かに似ているとかいう発想は最初からない。

4年ほど前に出た「東京オリンピック物語」にその辺の話も出てるんじゃないかと思って期待して出版を待って買ったのですが、ばっちりそのまま書かれていて嬉しかった。業界ではよく知られた話だったようですね。

他にも、競技の勝者をリアルタイムで報道する世界ではじめてのシステムを開発した日本IBMのエンジニアや、帝国ホテルの村上シェフが采配を振った一万人におよぶ選手村への給食、谷川俊太郎が脚本を書き市川崑が撮った芸術性の高い記録映画が、組織の論理に押しつぶされてスポイルされていく経緯など、64年 のオリンピックを支えてたのは、損得勘定の「政治」や無責任な野次馬と闘った生々しい「個人」のドラマだったことが描かれている。

表舞台も裏方も、今も昔も、結局人の情熱だけがオリンピックの精神に相応しい感動を生み出すのだと思う。
誰かの与えてくれた感動で2020年も振り返ることができるといいなと思います。


TOKYOオリンピック物語、もう文庫になってました。


TOKYOオリンピック物語 (小学館文庫)
野地 秩嘉
小学館 (2013-10-08)
売り上げランキング: 66,951

2015年9月5日土曜日

お砂糖のこと

カフェジリオでは、コーヒーと一緒にお使いいただくお砂糖に「ペルーシュ」を使っています。
不揃いな形の角砂糖で、多くのカフェで使われています。


ホワイトとブラウンがあるのですが、ブラウンの減りがはやいですね。
子供の頃、家にも「コーヒー・シュガー」という名前の琥珀色の結晶状の砂糖がありましたが、お客様にもそのような、「コーヒーには茶色い砂糖」というイメージがあるのかもしれません。

うちでは写真のように白と茶をひとつの皿にいれてお出しするのですが、先日お客様から「やっぱり砂糖は漂白してないほうが味がいいのかい?」と訊かれました。
茶色いお砂糖が自然な姿で、白い砂糖は漂白したものという認識が、もしかしたら一般的なのかもしれません。
そういえば、どこかのカフェのブログでもブラウンの方が漂白していないぶんミネラル分が豊富かも、と書いてありました。

砂糖の主成分はショ糖(C12H22O11)という、無色透明で甘味のある結晶なのですが、それが結晶粒子の光の乱反射により白く見えているのです。
三温糖などの褐色の砂糖は、サトウキビなどの蜜の部分からも糖分を絞り出すために加熱、遠心分離を繰り返すうちに糖質がカラメル化してできるものだそうですが、ペルーシュのブラウンは、雰囲気をコーヒーに合わせるためカラメル色素で着色しているものです。
ペルーシュの場合は、白を漂白しているのではなくて、ブラウンを着色していた、ということですね。
(ペルーシュにはカソナードという三温糖タイプのブラウンシュガーもあります)
 白い砂糖は漂白されたものではありませんので安心してお使いください。


このペルーシュ、溶けにくいと感じられるお客様が多いようです。
プレス成形を行わず、不揃いな形を造る独自の製法が原因なのではないかと思うのですが、砂糖を入れて、20~30秒ほど放置しておくとコーヒー液が染み入って溶けやすくなるようです。
最初からくるぐるかき混ぜると、すごいスピードでコーヒーの温度が下がっていって、かえって溶けにくくなるようです。
ペルーシュを使っているお店では、砂糖を入れたらすぐにかき混ぜず、少し待つ。
お試しください。

2015年6月6日土曜日

朝見上げる空模様に命のことを思う時

昨日の記事に、
お気に入りの雨具を買ったくらいで憂鬱な日を楽しく過ごすことができる現代に僕らは生きている
と書いたら、「農家にとっては、天候は今も気の持ちようなどではどうしようもないものですよ」とご指摘をいただいた。
まことにその通りだと僕も思う。
路地裏に建てたカフェの売上も、深刻と言っていいほど天候の影響を受ける。

そういえば、東京で営業の仕事をしていた頃、お客様との挨拶に天候の話などしたことがなかった。
それが会社を辞めて郷里の北海道に帰り路地裏にカフェを構えたら、毎日交わすご近所さんとも、馴染みの常連さんとでも、顔をあわせれば挨拶の言葉としてひとしきり天候の話に花が咲くようになった。

最初にうちの常連さんになってくださったのは、先ごろ亡くなった町村元衆議院議長のお父様で北海道知事を三期務めた金吾さんの秘書だった方で、現在はもう百歳を超えられたはずだがご健在である。

今年101歳になる女性のかたも、もう何年も毎週欠かさず水曜日にうちのケーキを大量に買って行かれる。今やこれが唯一の楽しみだというんだから気が抜けない。
そのような人たちと天気のお話をしていると、天候というのは単なる挨拶の言葉ではなく、本当に命にかかわる重大事なのだと気付く。

そんな日々を過ごしていると、朝起きて見上げる空模様がとても大きな意味を持っているものに思えてくる。
晴れか雨かだけでなく、気温の変化や風、雷、例年との差異など気にかけて情報を追うようになった。
そしてそうなってみると、朝ゴミ出しの時にお隣さんと交わす何気ない「今日はいい天気ですね」の言葉が、お互いの命を気遣い合う言葉に聞こえてくるようになった。
子どもの頃から言われ続けた「挨拶は大事ですよ」という教えの意味がすっと心の中に入り込んでくる瞬間だ。

もしかしたらコミュニティの絆が薄くなったり、家族の形が小さくなることで僕らの生活が失ったものは意外に大きいのかもしれないと、ふと思った。

2015年6月5日金曜日

折れてしまった傘とブルーの起源

さくらの季節が終わると札幌には強い風が吹く日がある。
先日その強風に煽られて傘の骨が曲がってしまった。
結婚してすぐの頃、皇室御用達という宣伝文句に釣られて買った高価な傘だった。

20年も前のことだが、その傘を買ってから雨の日に営業に出るのがちっとも嫌でなくなった。
お気に入りの雨具で憂鬱な雨を好きな日にするというのは、気の持ちようでマイナスをプラスに変えるもっともわかりやすい事例のひとつだろうが、20年も効果が持続したのだから宣伝文句に偽りがなかったということだと思う。

その大切な傘の折れてしまった骨を見ながら僕はブルーズの起源について思い出していた。

17世紀、アメリカに連れて来られた黒人奴隷たちは、朝起きた時、晴れて空が「青い」のを見ると、今日も一日キツい重労働が待っていると憂鬱な気分になった。
だからその憂鬱な気分を空の色を使って「ブルー」と表現した。その気持ちを載せて歌った歌がブルーズである。
彼らにとってはきっと天候というものは「気の持ちよう」などではどうしようもない運命そのものだったに違いない。

先人たちの超人的な努力と長い時間をかけて、天気の良い日が憂鬱だなどというバカげた世界は変わり、お気に入りの雨具を買ったくらいで憂鬱な日を楽しく過ごすことができる現代に僕らは生きている。
大切にしなくてはならないと思う。

2015年3月21日土曜日

8周年を迎えて

本日3月21日で、カフェジリオも8周年となりました。

「平凡」に生きていくためにこそ最大の情熱を注ぐ、という信条に鑑みて、特に大きな改装はしておりませんので、見た目は開店した当時のままですが、商品の中にはかつて人気のあったものでも今はお出しできなくなってしまったものがあります。


例えば「クレームダンジュ」というフロマージュブランとダブルクリームのムースは、材料の一部が生産されなくなり、他のメーカーのものでは味を再現できないため泣く泣くラインナップから落としました。
乳製品は同じメーカーでも生産工場で味が違ってしまうデリケートな食材です。
生クリームもちょっと特殊なものを使っていたのですが、工場が変わったとたん味が大きく変化して、これを他のメーカーのものとブレンドして調整するのに大変苦労しました。

コーヒーでも、マラウイという小国のゲイシャ種がとても評判が良かったのですが、世界的なゲイシャブームでなかなか豆が回ってこなくなり扱いを諦めました。
人気のあったトルマリンというブラジルのブランドも農園主の継ぎ手がいなくて廃業となり、今はお弟子さんが作った別の農園のものを使っています。

最近では固定ファンの多いカシスココというカシスとココナッツのムースに使われているカシスピューレが、農薬の問題で日本に入ってこなくなり、しばらくお作りできない状況にあります。


世界は刻一刻と変化していて、そこに生きる僕らも実に様々な事情で変化を迫られるのです。
しかし、不思議なもので扱う食材が変わっても、同じ人が作っていればそこにはなにか共通した「味わい」のようなものが感じられるものです。
その頑丈な個性は、間違いなく一朝一夕で作られたものではない。
きっと個人の人生すら超えて、技術を教えてくれた先生の生き様みたいなものまで含めて表現されるものなのではないでしょうか。

先日、パティシエである家内が菓子修行をした、三軒茶屋のHisamoto'sという老舗洋菓子店(現在は閉店)の創業者、久本晋平氏の自伝を偶然見つけて入手しました。
奉公先でカステラの技術を習い覚えて、養家で新しい洋菓子を作ろうとするも保守的な店主(養父)に受け入れられず、夢を叶えるためこっそり家出して博多に逃れた晋平氏は、洋菓子職人を求めていた店の門を叩き、ではシュークリームを作ってみよ、と言われ苦心惨憺して扱ったことのない最新の電気釜を使って見事なシュークリームを作り店主に認められたことがその職人人生の原点であったようです。

家内の菓子作りの原点も子供時代に食べたカスタードクリームにあります。
紆余曲折はあるでしょうが、職人さんたちの菓子への思いが折り重なって、今この店のショーケースに並んでいるシュークリームがあるのだなあ、と思うと深く感じ入るものがあります。

この変わり続ける世界で、僕らが守っていかなくてはならないのは、こんなふうに一つの菓子に積み上げられてきた人の気持ちそのものではないか、と思うのです。
9年目に入った今年もその気持ちを忘れずにがんばってまいります。
変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。